2018年11月から2019年7月にかけて、3人の親を亡くした。
自分のその時のためにも、忘れないうちに、記録を残しておこうと思う。
母は2019年の4月に、多発性骨髄腫というがんで、82歳で亡くなった。
痛み止めがよく効いて、最後まで苦しまず、
わがまま言い放題の、羨ましい亡くなり方だった。
母が亡くなって、私はほっとした。
これから先はもう、母の言葉や態度に傷つくことはないからだ。
母親から逃げたり、反発するような態度をとってしまう自分が
私は心底嫌だった。
もうそんな思いをしなくていいのだ。
最近、「死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威 」岡田 尊司 (著)
という本を読んだ。
そうか、母は愛着障害だったのかなと思うに至った。
そして、娘の私もだ。
詳しくはこの本「死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威」をどうぞ。
死に至る病と言うのは、愛着障害が生きづらさ(絶望)を生み、
死の危険を増やすから。
私は愛着障害と言う言葉を知らなかったんだけど、
こんなに本が出ているのですね。
著者は「大人のADHD」もこの愛着障害が占めていると言っている。
以下は、この本を読んで改めて思い返したことだ。
母(昭和11年生まれ)の母(明治44年生まれ)は、
当時は珍しい働く女性(美容学校の先生)で家では不在がち。
子育ては母の祖母がしたという。
母の父(私の祖父)は船乗りで不在。
戦争中にその仕事を辞めてしまい、
それ以降はいわゆる「髪結いの亭主」でずっと家にいたそうだ。
母は、自分の母(私の祖母)が仕事を持っていたことも、
優しいだけでぶらぶらしていた自分の父も、嫌い抜いていた。
世間体が悪く恥ずかしかったんだそうだ。
なので、私に求める基準も、母が考える世間体の良い恥ずかしくない人で、
学歴があって教養高く、いい家柄であること。
もしくはそんな人と結婚することだ。(女だてらに働かなくていいから)
その考え方に、私はすごく反発していたけれど、
母親とはそんなもんだと思っていた。
私は、そんな性格が引き継がれるかもと思うと怖くて、
とても自分の子供を持つ気にはなれなかった。
(子供を持ちたいと、自然と思えるような家庭に育たなかった、
と言った方が正確かもしれない)
成人してから子供の頃の思い出話をしていて、
友人に「自分のお母さんにぶたれたことなんて、ないわ」
と言われたのはショックだった。
別の友人は幼い頃、毎朝お母さんに髪を結ってもらうのが日課で、
とても嬉しくて楽しいひとときだったと言う。
幼いころの私はといえば、刈り上げたようなショートヘアで、
「手入れするのが面倒だから」というのがその理由だった。
編んだり、カールさせたり、風になびかせたり、
長い髪にどんなに憧れたことか。
なので私の母に対する恨みや嫌悪の感情は、
成人して家を出てから、世間の様子を知ってから、より強まった。
ちなみに私の結婚だけれど、私が大学の同級生と結婚することも、
夫になる人の親が高卒だったことも、母は気に入らなかった。
医者や弁護士の家系ではなかったからだ。
私たちの結婚式では母はずっと仏頂面で、異様な雰囲気となった。
以上が全部、母親が愛着障害で育ったと思えば、納得できる反応だ。
自分自身の結婚以来、私の心はずっと平穏だった。
別の所帯を持ってしまえば、大嫌いな母親に会うのは
お正月と誰かの誕生会の時だけになったからだ。
電話がかかってくるたびに嫌な思いをして、
私の心や態度はしばらく荒れたけれど、
忘れることで解決した。
それが、2015年に父が入院し、
その先の介護の方針を決めるにあたって、またささくれ立った。
父はケアサービスを受けながらなら自宅に帰れる状態だったのに、
母は父を自宅に受け入れるのは、嫌だと言うのだ。
父がどんなに家に帰りたがっても、
ブリッジの大会や旅行に行けなくなるからと、絶対に認めなかった。
私は、こんりんざい母には関わらないと心に決め、
あまり行かない母を補うつもりで、父のホームに通った。
孤独な父と一緒にお昼を食べて、「じゃあ帰るね」と言った時、
「一緒に行く」と小さな声で呟かれた時には、涙が出た。
3年半後に父は亡くなり、お葬式が済んだ翌週のことだった。
私の携帯が鳴り、それは病院からで 「お母様が苦しそうです」と言う。
診察を受けに来たけれど、家に帰る体力がなさそうだ、とのことだった。
「あんたの面倒は見ないからね」と言ってあるのになんで?
心配よりも怒りでいっぱいで、私は郊外のその病院に行った。
初めて会うお医者さんや看護師さん達への態度も、とても冷ややかだったと思う。
そういう態度をしてしまうことは、本当に恥ずかしかったけれど、
そこに母がいるだけで、どうしてもそうなってしまう。
でも翌月、母の主治医に呼ばれ、
母のがんの抗がん剤が効かなくなり、治療をやめる。
後はターミナルケアで余命6ヶ月と言われた時に、
私の心のつかえは取れた。