2020-09-26

親の看取り-2: 母のターミナルケア(在宅緩和ケアとホスピス)

2019年4月8日に多発性骨髄腫で亡くなった母は、 2018年の秋頃から状態がだいぶ悪くなり、
食欲が落ち、発熱や便失禁など起こるようになった。

多発性骨髄腫の診断から三年目、 抗がん剤治療に加えて緩和ケアが始まって
約1年のことだ。

病院は武蔵野日赤から立川災害センターに変わった。
どうやら武蔵野日赤の先生と喧嘩したか何かで
折り合いが悪かったらしい。

本人は2階建ての家で一人暮らし。

ケアマネージャーやヘルパーさんや訪問看護師さんから、
骨折の危険があるから1階にベッドを移そうと言われても

汚くなるから嫌だと
2階の寝室と1階のリビングの往復をやめようとしない。

シルバーボランティアの車に乗ったり
タクシーを使ったりして、度々外出。

ケアマネージャーから
「支援に行き詰っております。」などと
報告が来るようになった。



2018年12月13日
新しい主治医の先生がいる立川災害医療センターの
血液内科に私も同行。

抗がん剤治療はもう止める。
と告げられる。

これから徐々に体の自由が利かなくなるので
病院に入ることを検討した方がいいというアドバイスも。

事情があって主治医が変わったことを考慮してか
「来年になって具合が良くなれば、またここに来てください。
抗がん剤治療を再開しましょう」
などとも言う。

数種類の抗がん剤を順番に試してきたけれど、
最後のも効かなくなったと言ったばかりなのに。

本人が病状を理解していなくて無茶をするので困ると、
ケアマネージャーや訪問看護師さんから度々聞かされていた。

こんな言い方をしたら、また同じことの繰り返しだ。
つい、私は突っ込んでしまった。

「抗がん剤治療を再開する見込みはあるんですか?」
「そんなこと言ったら、本人が希望を持ってしまいますよ」

先生は言いにくそうに「再開の見込みはないです」と言った。
私の「余命はどれくらいですか?」の質問には
「だいたいあと半年」との答え。

倍ぐらいで言っているかなという印象だったけれど
(実際はそれから4カ月弱だった)
きちんと言っていただいて、私は良かったと思う。


2018年12月17日~
多発性骨髄腫で余命あと6ヶ月と言われた母の主治医を、
血液内科の先生から、ターミナルケアの先生に変更することになった。

その宣告から三日後、 母を除いた家族(娘である私と息子である弟とその奥さん)が、
ケアタウン小平クリニックの山崎章郎院長他全員の先生と面談。

患者抜きで話をすることが山崎先生の方針であることは、
事前に読んでいた本で知っていた。

山崎章郎先生は、 ホスピスや在宅ケアの分野の先駆者ともいえる、有名な人だ。
私も先生の著作は、母の発病の前から読んでいた。

そして幸運なことに母が住む家は、その山崎先生が作ったホスピスからも
その後山崎先生が作った在宅ケアのクリニックからも、大変近かった。



母自身は、在宅ケアよりも病院に入ることを望んでいた。
3食にベッドメーク付きで、暖房完備。そして時々遊びに出かける。
そんな生活を望む人だった。

それを告げると、クリニックが提携しているホスピスのリストを渡してくれた。
その日のうちに全てに電話。
入所応募の面談まで1、2ヶ月かかるところ
すぐ入れるけれど、1ヶ月しかいられないところなど、様々だった。

評判の良い桜町病院の聖ヨハネホスピスは既に見学の申し込みをしていたけれど
面談まで数ヶ月待ちと言われていた。
それから3ヶ月後に入れると連絡が来たけれど
もう動かせる状態ではなく、断った。
(入所できると言われたその日が命日となった)

家族が山崎先生との面談をしてからの10日間は
あまりにも早く過ぎたので、記録しておく。

12月17日 クリニックの先生達と家族が初めての面談
12月18日 クリニックの先生達が母を初めての訪問診察
12月19日 リストの中で一番早く入れそうだった、杉並の越川病院で私が面談
12月22日 前月11月7日に亡くなった父の五十日祭(仏教の四十九日みたいなもの)
12月26日 2回目の訪問診療。母のホスピス入所希望を確認し、手配の方法を丁寧に教わる
12月28日 母、越川病院のホスピス病棟の個室に入院

12月22日の父の五十日祭は母の主催で、親戚や古くからの友人を集めておこなった。
母は杖をついていたけれど、普段通りの外面の良さと見栄っ張りで出席者は何も気づかず、父の思い出話に花が咲く楽しい会となった。

父は「お金がない」という母の一言で、死ぬまで3年半も特養の四人部屋に入っていた。
それなのに、自分はホスピスの1日3万円の個室に入る。。。
あと半年だと思えば、そんな母にも腹が立たなかった。


ホスピスで母がどんな風に過ごしたか、後日書き足します。
そして、3か月以上という長期滞在の末、
2019年4月8日にホスピスで亡くなった。

2020-09-16

この暑さ、数年後、数10年後はどうなっちゃうのかしら。

9月1日に久しぶりに気温22°になったけど
それはたった1日のことで、
湿度100%近くの、残暑にあえぐ日々が戻った。

この週末は台風10号(中心気圧920ヘクトパスカル!)のせいで
天候優れず、さらに蒸し暑く。。。

来年はもっと、数年後はもっともっと、
暑くなるんだろうな。

そして、10年後や20年後は。。。と思うと、
なんともやりきれなくなる。

温暖化で地球が滅ぶのが先か、熱中症で私が死ぬのが先か。。。
それより台風か竜巻で、家ごと飛ばされちゃうかもしれない。

ホーキング博士は、「人類の寿命はあと100年」と
2017年に言い、2018年に亡くなったそうで。

私は間に合うけど、今生まれてくる子供たちの寿命は
地球の寿命と一緒になっちゃうのかしら。。。


9月16日に追記 
セプテンバーイレブン(9月11日)を過ぎた辺りから
ついにクーラーなしで眠れる日々がやってきた。

40日の猛暑の日々、つらかったなあ。

2020-09-09

親の看取り-1: 母と私の愛着障害について

2018年11月から2019年7月にかけて、3人の親を亡くした。
自分のその時のためにも、忘れないうちに、記録を残しておこうと思う。


母は2019年の4月に、多発性骨髄腫というがんで、82歳で亡くなった。
痛み止めがよく効いて、最後まで苦しまず、
わがまま言い放題の、羨ましい亡くなり方だった。

母が亡くなって、私はほっとした。
これから先はもう、母の言葉や態度に傷つくことはないからだ。

母親から逃げたり、反発するような態度をとってしまう自分が
私は心底嫌だった。
もうそんな思いをしなくていいのだ。

最近、「死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威 」岡田 尊司 (著)
という本を読んだ。

そうか、母は愛着障害だったのかなと思うに至った。
そして、娘の私もだ。

詳しくはこの本「死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威」をどうぞ。
死に至る病と言うのは、愛着障害が生きづらさ(絶望)を生み、
死の危険を増やすから。

私は愛着障害と言う言葉を知らなかったんだけど、
こんなに本が出ているのですね。
著者は「大人のADHD」もこの愛着障害が占めていると言っている。



以下は、この本を読んで改めて思い返したことだ。



母(昭和11年生まれ)の母(明治44年生まれ)は、
当時は珍しい働く女性(美容学校の先生)で家では不在がち。
子育ては母の祖母がしたという。

母の父(私の祖父)は船乗りで不在。
戦争中にその仕事を辞めてしまい、
それ以降はいわゆる「髪結いの亭主」でずっと家にいたそうだ。

母は、自分の母(私の祖母)が仕事を持っていたことも、
優しいだけでぶらぶらしていた自分の父も、嫌い抜いていた。
世間体が悪く恥ずかしかったんだそうだ。

なので、私に求める基準も、母が考える世間体の良い恥ずかしくない人で、
学歴があって教養高く、いい家柄であること。
もしくはそんな人と結婚することだ。(女だてらに働かなくていいから)

その考え方に、私はすごく反発していたけれど、
母親とはそんなもんだと思っていた。


私は、そんな性格が引き継がれるかもと思うと怖くて、
とても自分の子供を持つ気にはなれなかった。
(子供を持ちたいと、自然と思えるような家庭に育たなかった、
と言った方が正確かもしれない)

成人してから子供の頃の思い出話をしていて、
友人に「自分のお母さんにぶたれたことなんて、ないわ」
と言われたのはショックだった。

別の友人は幼い頃、毎朝お母さんに髪を結ってもらうのが日課で、
とても嬉しくて楽しいひとときだったと言う。

幼いころの私はといえば、刈り上げたようなショートヘアで、
「手入れするのが面倒だから」というのがその理由だった。
編んだり、カールさせたり、風になびかせたり、
長い髪にどんなに憧れたことか。

なので私の母に対する恨みや嫌悪の感情は、
成人して家を出てから、世間の様子を知ってから、より強まった。

ちなみに私の結婚だけれど、私が大学の同級生と結婚することも、
夫になる人の親が高卒だったことも、母は気に入らなかった。
医者や弁護士の家系ではなかったからだ。

私たちの結婚式では母はずっと仏頂面で、異様な雰囲気となった。

以上が全部、母親が愛着障害で育ったと思えば、納得できる反応だ。

自分自身の結婚以来、私の心はずっと平穏だった。
別の所帯を持ってしまえば、大嫌いな母親に会うのは
お正月と誰かの誕生会の時だけになったからだ。

電話がかかってくるたびに嫌な思いをして、
私の心や態度はしばらく荒れたけれど、
忘れることで解決した。

それが、2015年に父が入院し、
その先の介護の方針を決めるにあたって、またささくれ立った。

父はケアサービスを受けながらなら自宅に帰れる状態だったのに、
母は父を自宅に受け入れるのは、嫌だと言うのだ。

父がどんなに家に帰りたがっても、
ブリッジの大会や旅行に行けなくなるからと、絶対に認めなかった。

私は、こんりんざい母には関わらないと心に決め、
あまり行かない母を補うつもりで、父のホームに通った。

孤独な父と一緒にお昼を食べて、「じゃあ帰るね」と言った時、
「一緒に行く」と小さな声で呟かれた時には、涙が出た。

3年半後に父は亡くなり、お葬式が済んだ翌週のことだった。
私の携帯が鳴り、それは病院からで 「お母様が苦しそうです」と言う。
診察を受けに来たけれど、家に帰る体力がなさそうだ、とのことだった。

「あんたの面倒は見ないからね」と言ってあるのになんで?
心配よりも怒りでいっぱいで、私は郊外のその病院に行った。
初めて会うお医者さんや看護師さん達への態度も、とても冷ややかだったと思う。
そういう態度をしてしまうことは、本当に恥ずかしかったけれど、
そこに母がいるだけで、どうしてもそうなってしまう。

でも翌月、母の主治医に呼ばれ、
母のがんの抗がん剤が効かなくなり、治療をやめる。
後はターミナルケアで余命6ヶ月と言われた時に、
私の心のつかえは取れた。

2020-09-08

看取りがコロナ前にすんでいてよかった

コロナが始まって以来、
病院や老人ホームでは面会が制限されているそうで。

ホームのお母さんに、シート越しに5分しか会えなかったと聞いたり
病室の窓辺に立つお父さんと、駐車場に立つ娘が、
手を触り合う姿のニュースなど見たりすると
涙が出てしまう。

私たちの4人の親は、コロナの前に亡くなっていて
本当に良かったと思う。

もしコロナが一年早かったら。。。

母が持っていた銀行口座のカードの暗証番号など、
聞くことができなかったんだなあ。

それを口頭で教えてもらったのが、亡くなる1か月前
ホスピスの病室でだった。

自分のへそくりやら子供の名義やらで複数の通帳があって
それぞれ暗証番号が違う。

大した金額じゃないものが、あちこちにちょこちょこ残してあった。
どうして死ぬ前に全部使い切らなかったの?と思ったりして。

父は病気で倒れる1年前に、全てを一覧表にしてあった。
これはとても助かった。
そして、私も見習わなくてはと思う。

じゃあ、いつ始める?

2020-09-04

誕生日は、あと何回かな

昨日は私の誕生日だったので、
この夏作った着物を着て同時に作った帯を締め
シャングリラホテルのイタリアンでディナーを食べた。

三密を避けるなら、ホテルだよね、と思ったからだけど
すんごく高かった。生涯最高額かも。

両親の寿命と私のが同じならば
誕生日はあと24回。

こんな贅沢ができるのも、今のうち。
と思うことにする。

来年の誕生日のころにはコロナも収まって、
もうちょっと密で安いところで食べられますように。

2020-09-03

MCTオイル(=ココナッツオイル)健康法はマヨネーズで

ココナッツオイルはアルツハイマーに効くと目にするので
摂取に興味はあるんだけど、独特の匂いがあまり得意でない。

なので、大好きなマヨネーズの材料にして摂取することにした。

なんて素敵な思い付きって、自分をほめちゃった。
これで、マヨネーズを食べすぎる罪悪感も無くなるし。

作ってみると、滑らかなマヨネーズタッチを出すのがなかなか難しい。
でもまあ、許容範囲と思うことにする。

だって、オリーブオイルでマヨネーズ作ったりしたら、
おいしすぎちゃって、狂ったように食べて(舐めて)しまうから。

毎日葉っぱを浸してせっせと食べている。
これで脳みその劣化を防げるかな?

2020-09-02

特典がたくさんつくお客様は。。。

愚痴は書きたくないけれど、
海外旅行関係の仕事をしているので
キャンセルを受けたり、返金がまだなんだけど。。。
と問い合わせを受けたり、
2020年の3月以降こればっかりだ。

胃がキリキリ状態は、まだまだ続く。
誰のせいでもないけれど、とても落ち込みます。


平和な時でも、お客様のタイプによって、
嬉しかったり、落ち込んだり、
いろいろだったけれど。

私の旅行業の場合、ディスカウントしたり、金券をつけたり
お部屋にワインを届けたり、けっこう色々出来るのだ。

「おまけをたくさんつけたくなるタイプ」
=リピーターになってほしいお客様

「事務的にこなしたくなるタイプ」
=神様ヅラする人

こんな風に考えて欲しいなあ、といつも心の中で思ってます。
言えないけど。

「 自分が喫茶店を経営していると想像して、
10人お客様がいて、でもおまけのケーキは三つしかありません。
あなたなら、どんなお客様に、このおまけのケーキを付けますか?」

2020-09-01

コロナとともに6ヶ月。そろそろ。。。

甲状腺がポンコツの私、
8月の連日の猛暑でヘトヘトになっていたけれど、
9月1日の今朝起きたら、なんと気温は22度ではないか!

家中の窓を開け放ち、涼しい風を家に入れて
しみじみと幸せに浸っている。

そして思った。
暑いからできない。。。
と言い訳していたことを、しなくては。

やっと仕事にできた旅行業は、
回復するにはあと数年かかるだろうな、と思う。

せっかく取った資格であり登録だから、
継続したいけど、長い待ちになりそう。

では、それまでどうするか。

とりあえず、ミシンを出してみた。
亡くなった夫のお母さんが大切にしていたものだ。

これで新しいこと何かできるかな。