2022-12-16

2022年11月 生活に変化は必要だ。

夫が転勤になるかもしれないと言う。場所は新幹線で一時間ぐらいの栃木県の地方都市。
そこと東京のオフィスを行ったり来たりするけれど、メインは栃木県だと。

それを聞いた時に私の中に巻き起こったのは思いっきりネガティブな気持ちだった。

何で引越しなんて? そんな転勤を唯々諾々(いいだくだくー初めて読み方を知ったよこの言葉)と受けるなんて。
東京にずっといられてテレワークも多い仕事に転職したら!?
だって今さら新しい所帯を持つなんて、お金かかるじゃない。

でもその転勤は左遷というわけではなく、本人も前向きな感じ。
気持ちが落ち着いてくると、会社の負担でセカンドハウスを持って
夫と一緒に行ったり来たりする二拠点生活も悪くないと思えてきた。

その場所は標高230 M ぐらい。もしかして夏もちょっとは東京より涼しいかしら。
会社の負担でどれぐらいの広さの家が借りられるんだろう…。
さっそくSUMOに登録して相場を見たりしてる。

そんなこんなで、なんとなく気忙しく楽しくなってきた。
生活に変化って必要なんだな。


私以外の3人が70代女性(独身・バツイチ・未亡人)のご近所さんでお茶会をしている。
コロナの後は感染が収まっている時にお食事に行くぐらいだったけれど、
知性も品性もある人達でたまに会うのがとても楽しかった。

その中のシングル女性が引っ越すことになるお別れ会で
いつも控えめでおとなしい未亡人の奥さんが、はしゃぎすぎ喋りすぎでなんだか変だった。
そうしたらシングル女性がズバリと言ったのだ。

「いつも一人でいて 誰とも口をきかないんでしょ。
自分のことをずっと喋る人ってそうなのよね。」

旦那さんが亡くなって7年。 コロナ閉じこもり生活も3年目。
なるほどそういうことなのかと私は妙に納得した。

ジムにだってたくさんいる。自分のことばかり延々と 話す年配の女性達。
一人暮らしで普段は誰とも話さないからなのか。

衣食住には何の不満もないけれど、コロナでさらに強まった閉塞状況と同じ日常の繰り返し。
じわじわと人間が縮んでいく様子を見た気がした。

私はどうなるかな。
夫の転勤が良い方に行くひとつのきっかけになるといいけど。

2022-11-01

2022年10月 アンガーマネジメントしなくては>YouTubeで探してみよっと。

補助金申請のカスタマーサービスとか、のろのろ歩く同僚とかにイライラしてしまう。
パソコンの入力でタッチミスして何度も間違えたりすると、
どこにぶつけていいかわからない怒りが湧いてきて 自分を制御できない。

先週大きなミスをした。
私が設定すべきランチの場所を設定もせず、一緒にいた同僚の人たちに、
あなた達が見つけなさいと怒鳴ってしまった。
なんてバカな私。彼女達は呆れただろう。
できるなら時間を巻き戻してやり直したい。

過去を振り返るたびに自責の念に駆られ、
時間を巻き戻せたらと思うことは多い。
もうずっと若い頃からそうで、タイムトラベラーとかリプレイとかの小説を読んでは、 自分だったらあの時に戻ってこうやり直すのにと夢想していた。

それが頭の中でぐるぐる回りだすと気持ちは落ち込むし物事が進まなくなる。 なので最近はあえてそういうことを考えないようにしていた。

始まったなと思うと鼻歌を歌って気をそらす。
精神科医のエッセイか YouTube かボイシーあたりで聞きかじった方法だ。

そのせいか、思考のぐるぐる回りはおさまってきた気がするけれど、
小さなミスが繰り返されるとたまらなく怒りが湧いてくる。
自分とは違うスピードや考え方の人に対しても好感を持つことができない。
何かの記事で、前頭葉が萎縮する認知症は感情の抑制ができなくなって
暴力的になると読んだことがある。
私もこれかしらと思ってしまう…。

家では心穏やかに強い言葉は使わずに過すように気をつけてはいるけれど、
逆に家の外から受ける自分の意に沿わないストレスに感じる怒りは強くなった気がする。

さて、どうするか。
最近は本を探すのに加えて、YouTube の検索もするようになった。
有象無象ではあるがなかなか面白いものが出てくることがある。
それで私は変われるだろうか。

2022-09-30

2022年9月 ついに大台

またまた誕生日がやってきた。
今回はキリがいい年齢になったけれど、特に生活や気持ちが変わるわけでもなく。
それでも、 大台にかこつけて1番行きたかった沖縄のひらまつ宜野座に贅沢に2泊した。

台風11号が沖縄本島の東側と西側を通った影響を受けて、ひらまつ宜野座滞在中は大荒れのお天気。
別棟のレストランに行くのにカートで迎えに来てもらう始末だった。
お客さんは私達の他に一組だけ。 どうやら他は全部キャンセルになったようだ。
それが、居心地がいいような悪いような。
人目を気にせずジャグジーに浸かれるのはよかったけれど、せっかく夏に行ったのに海で泳げないのが悔しかった。(プールで泳いだけど…。)

次の大台はどんなことしているかな。
またひらまつ宜野座に行っているのかな。

あと10年か15年ぐらいは旅行や食事が楽しめるつもりでいるけれど 、どうなっていることやら。

2022-08-31

2022年8月 旅行、旅行、旅行!!

ついに夫と 11日間の旅に行くことができた。
お盆休みの前の週末に移動してワーケーション二日。行き先は函館と青森。

函館の湯の川温泉に2泊し 、函館朝市の隣のキッチン付きホテルに4泊し、
津軽海峡フェリーに乗って青森の大間に行き下風呂温泉に泊まり、
函館に戻ってまた湯の川温泉に2泊して、
東京に戻ってプール付きのホテルに一泊して家に戻ってきた。

長旅だったけれど体調を崩すこともなく、
立派な50 M 温水プールのある函館市民プールに4回も行き、
途中自炊をして体調を整え、美味しいお寿司や地元の食材を使った西洋料理を堪能した。

長期の旅行といえばクルーズばかりで、しかも海外の発着港まで金曜日の深夜便で行き10日後の日曜日に帰ってくる。
時差でヘトヘトになり翌週は辛い辛い。
そんな思いもしなくて良くて、夏の函館旅行は快適だった。

8月の下旬はお友達の河口湖の別荘に行きたかったのだけれど、
毎年参加している3人のうち一人があまり乗り気でない様子。

コロナになって暇になったからこそ実現できた女子旅で、私は大好きだったのだけれど…。
彼女のネガティブ反応は、イデオロギーの違いのせいかな。

時間が空いたので、昔の旅行のお客さんにひょいと来年のゴールデンウィークのセール情報を出したら
問い合わせが来るわ来るわ。

久しぶりに E メールに 追われる10日ほどであった。
河口湖に行っていたらできない仕事だったから、かえって良かったと思うことにしよう。

今や私と一緒に旅行に行ってくれるのは夫だけになってしまった。

友達と旅行する緊張感も楽しいけれど、夫となら楽チンだ。
週に2日だけだけど夫が在宅勤務ができる 仕事になったので、前の激務に比べたら格段に旅行しやすくなった。

適当に稼ぎながら有効に旅行する。 こんな生活を続けたいものだ。

2022-07-31

2022年7月 暑さに合わせて住む場所変えたいな

今年2022年は6月の下旬から35度超えの猛暑が始まった。
偶然、7月の最初の週末に余ったマイルで阿寒湖旅行を計画していて
この旅行先は涼しくてとっても良かった。

戻ってきたらなんとなく暑さは落ち着いて
戻り梅雨みたいな雨続き。
7月半ばの箱根旅行は、天気は良くないし
行かなくても良かったなと思ったものだった。
(ご馳走や駅伝博物館や箱根関所跡など、それなりに楽しみました。)

そして7月下旬から始まった35度前後の猛暑の日々。
湿気はひどいし熱帯夜続きで、クーラーをかけていても暑くて目が覚める。

こんな時こそちょいとどこか涼しい所に行きたいものなんだけど
次の函館旅行は8月になってから。
その日が来るのを指折り数えて待っている。

スマホの天気予報アプリには、次の旅行先の函館と、
次の次の旅行先の沖縄宜野座の天気と気温も出るようになっている。
毎日見ては一喜一憂。

函館は29度なんて日もあるし、沖縄宜野座は東京が35度でも31度とか。
日本全国どこでも暑いとも言えるけど、東京が中でもとりわけ一番暑い。

暑くなってきたらマイルを使ってパッと涼しい所に行く
そういう旅行スタイルを目指したい。

平日なら函館も釧路も割とマイルで取れるし、
函館はキッチン付きのホテルが増えてきた。
https://fav-hotels.com/hotels/hakodate/

涼しい釧路で避暑生活 https://cool946.com/ なんていうページもある。
いいなあ、涼しい夏。

夏の暑さで思い出すのは、
父の駐在先だった韓国 ソウルから帰ってきた最初の夏。高校一年の時。
その頃のソウルは大陸気候で湿気が少なく夏は涼しかった。

入学した世田谷区の高校の教室にはクーラーなんてなく
制服のセーラー服は大きなリボンを結び、背中に大きく襟が垂れる。
夏に着るにはあまりにも通気性が悪い 。
学校の行き帰りと授業中のほぼ半日、体中の毛穴からジワジワ染み出す汗が
不快で不快でたまらなかった。
いつ気を失って失神するかと、思っていたものだ。

それ以来私はこの蒸し暑い日本の夏が大嫌い。
夫が引退したら夏は涼しい所で過ごすんだと、
何年も何十年も夢見ているけれど、なかなか実現しないんだなぁ。

夫の引退は近づいてきたけれど、日本の国力が低下していて
涼しい海外で夏は長期滞在するなんて、お金がかかりすぎる。
だって円安で2022年7月は1ドル136-139円! やれやれ。

2022-06-30

2022年6月 飛びながら、思い出すのは千代の富士

ジムのスタジオで小さな跳び箱みたいな台を上ったり下りたり、
時にはその上でくるりと回ったりの
ステップ・エクササイズをずうっと続けている。 もう30年ぐらい。

アメリカでは Boot Camp ステップというのをやっていた。
日本でも二つの台の間を行ったり来たりするのにチャレンジしたり、
台を2段にしたり、ぴょんぴょん飛び跳ねて気分爽快。
週に1度の楽しみだったのだけれど。

このステップが、最近キツイのだ。
コロナ後しばらくのジムの休みの後、おっかなびっくり再開。
それ以降は体調をこの土曜日の午前中のクラスに向けて、
一週間かけて整えて、やっと参加するという様相になってきた。

クラスの最中は夢中だけれど、終わると 滝のように汗をかき息も上がって、がっくり。
股関節も足の指も痛くて、今日も怪我をしなくて良かったと心から思う。
そして、来週は大丈夫かなって。

フリがよく分からなくて台の上を右往左往している時は、
あーもう、体よりも脳みそが限界かしらと思ってしまう。
そして思い出すのは 大好きだった千代の富士の引退の時の言葉
「体力の限界。 気力もなくなり引退することになりました」

正座して両手をついて頭を下げて、絞り出すように言ったあの言葉。
思い出すたびに涙が出てしまう。
そして今、ステップをするとそれが頭の中をぐるぐる回るのだ。

もうしばらくはできると思うんだけど、一年後もそうなのか…。
やめるとしたら 、いつ何をきっかけにやめるのがいいのか。

怪我をしてからじゃ遅いとは思うんだけど、まだやめられない。
(2023年春の2拠点生活化を機にやめました。23.03.)

2022-05-31

2022年5月 夫の新しい人生で私が死にそうな気分になる件

夫は新卒以来ずっと一つの会社に勤めて、 35年以上。
それなりに頑張っていたと思う。

それがあと2年かけてこの仕事を完成させれば 引退というところで
政変が起こって、すっぱりと会社をクビになってしまった。
本人にとっても周りの人達にとっても(私にとっても)
びっくり仰天の出来事だった。

この会社を去ってくれと言われてから公表までの 1日半
何も知らない部下たちとの会議に出席してどんなに辛かったか。

それが一週間もしないうちに新しい会社の話しが来て
それを報告してきた電話の声は、安堵と嬉しさに満ちていて
私もしみじみ よかったなあ。と思った。

日が経って落ち着いて考えれば、
もう引退して遊んで暮らしてもいいんだし
会社に行かないお小遣い稼ぎの方法を考えてもいいんだし
選択肢も色々あったはずだけど。

数年かけて引退を準備していたならともかく、
あまりに急にクビになったので、
突き落とされて落下しているようだった夫を
キャッチしてくれたところがあったのは良かったと思う。

そして4月から夫の新しい会社での生活が始まった。
同時に、私の別の心配が始まった。
前の会社の人達との飲みに行っては、しごく酔っ払って帰ってくるのだ。

夫の酔っ払いは、腰砕けタイプ。
本人は何も覚えてないけれど、転んでメガネを割ったり失禁したり。
いつ線路に落ちるか、財布をすられるか、服や家を汚されるか
私はもう気が気でない。

前の会社の末期に、仕事に追われてへとへとになっていた様子を
見ていた時より、よっぽど私にはつらい。

翌朝あーだったこーだったと言い聞かせるんだけど
飲む量を減らしてもうしないからと本人は楽観的だ。
呑んだら意識が飛ぶんだから、量を減らすなんて無理でしょ。

心配のあまり私が死ぬのと、電車に跳ねられて夫が死ぬのと
どっちが先だろうか。

もう夫のことでびっくりするのは嫌だなあ。

2022-04-30

2022年4月 死ぬまでの事を考える毎日

死ぬまでの事を考える毎日と言っても
自殺したいというわけではなく、
死ぬまでどうやって痛みや苦しみなく楽しんで生きられるかなと
ぼんやり考えている。
それはあと何年で、どんなことが我が身に起こるのかなって。

日経新聞の記事に、100歳まで生きる人は1600人に1人と出ていて
私が1600人に1人の長寿者になるなんて、絶対無理だと思った。
ちなみに90歳までは男性が1/3・女性が半分
95歳までは男性が20%女性が1/3。だそうです。
さて、私はどこに入れるかなー?

なにせ子供の頃から体力に自信がなくて、根性もそんなにない。
父親と母親は83歳になったかならないかで死んだ。
おばあちゃんは97歳だったけど、最後の7年ぐらいは骨粗しょう症で
背骨がスカスカになって、痛みに苦しむ毎日だった。

私自身はせいぜい90歳+数年って感じかな。

それでもあと30年+数年は生きるってことになるけれど
体のポンコツ化は徐々に進んでいる。

去年まで苦しんでいたのは股関節の痛みだった。
これは近所に初動負荷でストレッチできるジムを見つけて
半年ほどで良くなった。
これから先もずっとこのジムに行きたいから、
今住んでいる場所を長く離れることがしにくくなってしまった。

甲状腺は相変わらず時々炎症を起こして不整脈まで出るようになり、
炎症が治れば 今度は甲状腺ホルモン不足であちこちギクシャクしてくる。

今年は2月から4月ぐらいまでが低ホルモン期だったんじゃないかな。
顔がむくんで声が割れてたのは低ホルモンのせいだと思う。
ばね指も悪化した。今年の2月末頃から左の中指と右の薬指が悪化。
モーラステープでなんとか凌いでいる。

ついでに記録しておくと、右の中指は2018年6月におくつ整形で手術。
左の人差し指は2019年5月と2020年6月にステロイド注射。
その後 YouTube で見つけたばね指体操をいくつかしてたら割とよくなって小康状態。
そのもっと前に塚越整形外科でステロイド注射してもらった。(2015年と2016年に左の薬指、2017年に右手の中指。詳しくは>>こちら「ばね指その後」のその3

今一番気になっているのは、足の強剛母趾だ。
元々足の指が反りにくい体質だったけど、あれ?足の親指の付け根の関節が
なんだか<の字(右足)と>の字(左足)に膨らんでるぞと思ったのは、
ちょうど1年前(2021年6月)くらいかな。

その頃からか、走ったり跳ねたりすると親指の付け根が痛むようになった。
足の指を広げたり反らせたり縮めたりのマッサージで
ちょっとは良くなる気がするけれど …。

強剛拇指は関節にカルシウムが溜まって腫れるので
手術でしか治せないとWeb に出ているのを見ると暗い気持ちになってくる。

今は土踏まずがホールドされるインナーを靴に入れると痛みを感じずに済むけれど。
そのうち歩くのも痛いようになるのか…。
手術は足の甲を開いて関節を削るのが主流みたいで。
そんなことしたら3ヶ月は歩けないだろう。
その間、旅行に行けないじゃないの…。


ところで老後生活を支える蓄えだけれども、
そこそこあると思っていた。
あと20年ぐらいは、美味しいもの食べて旅行に行けるぐらいの…。

ふと思い立って、ここ2・3年の生活費を計算してみた。
そうしたら、毎月こんなに使ってるんだ!と驚いてしまった。

この先私の収入が復活しても大した額じゃないだろうし、
夫が本当の定年になったら、今の生活に加えて夏と冬に長期の旅行に行くなんてとってもできないんじゃないの?

その事実を知って愕然としております。
外食のしすぎかお酒の飲み過ぎかどっちだろうか。

2022-03-31

2022年3月 憧れの平日旅行に行ってきた

大学を卒業してサラリーマンになって以来、
夫と平日に旅行に行くのは長年の憧れだった。
夫の退職と再就職の間にそれをついに達成!

2022年3月13日より鹿児島2泊旅行
コロナであまりまくっているマイレージで鹿児島便を急きょゲット。
新緑が萌え始める前の鹿児島へ。

空港から温泉へはタクシー移動と思っていたけれど、(妙見温泉で3000円、霧島温泉で5000円くらい?)
うまくバスに乗れて、妙見温泉にはリーズナブルに行けた。

飛行時間は2時間程度だし、高原で気候は冷涼だし、
意外や鹿児島は伊豆の下田に行く感覚でひょいと行けるところだった。

一泊目の「忘れの里雅叙苑」は、旅館を継いで2代目という地元の名士の奥さんが切り盛りする老舗。
藁ぶき屋根の農家を再築した露天風呂付きのお部屋は申し分なくて、
なにより地元の食材を使った食事が素朴でおいしい! 
受付棟の隣が囲炉裏でいつも大きな薪が燃えていて、
その煙の匂いが近くだった部屋まで漂ってくるのもよかった。

別棟の家族用露天風呂も、ラムネ泉の源泉のほうは
ぬるいのとやや熱いのと、行ったり来たりで楽しめた。

後から聞いたら飲用の許可は取っていないとのことだったけど、
このラムネ泉をガブガブ飲んでいたからか、
鹿児島ではお通じがすごく良くなった。
私の場合いつもいいけど、鹿児島ではトイレに行くたびになんかお腹がおそうじされているような感覚で気持ちいい。

従業員の人たちも、宿のあれこれを自信をもって説明してくれて、そんな会話も楽しかった。

2泊目の森の宿 ふたり静も、地元では新興の宿ながら、もうできて20年近くだそうで。
2000坪の敷地に点在する一軒家の作りで、コロナ前は外国人観光客で1年先まで予約でいっぱいだったという噂もうなずける。

雅叙苑の翌日だったので接客も食事も劣っているように感じたけど、
こちらだけで見れば高水準。
ぬるいお湯にしか入れない私には、庭園の丘の上にある露天風呂は熱すぎたけれど。

部屋露天も、目いっぱいぬるい設定にしていただいたけど、やっぱり熱くて、体温くらいの温度というわけにもいかず。

今後鹿児島に行くなら雅叙苑1か所でイイかも。
でも下田同様2泊はしないとゆっくりした気分になれないので、2泊目が悩みどころだなあ。


2022年3月21日より沖縄2泊+2泊
友人に送ったLineより
「私は今、夫の退職記念旅行で沖縄にいます。お祝いに会社から出た37万円(37年分)の旅行券を全部使ってのゼイタク旅行です。
今日は百名伽藍というホテルです。夕食はえりさん(注:私のお料理の先生)ならテーブルひっくり返すかな。
泡盛しこたま飲みました。
最後に「退職おめでとうございます」と描いたデザート出していただいて、笑いながらもしんみり。」

ハレクラニ沖縄
百名伽藍もそうだったけど、プロパティは素晴らしい。
スタンダードなお部屋でも50平米あって、目の前にビーチが迫り、波の音がちゃんと聞こえる(位置の部屋だった)。
お風呂とベッドには境目のガラスがなく、玄関からベランダにまっすぐ出る廊下は広くて、 クローゼットも余裕たっぷり。
さすがアメリカのホテルの老舗の沖縄支店。

ホテルの周りには居酒屋やコンビニもあって、
食事代を節約しようと思えば、そういうところに食べに行けばいい。

2泊目のランチは、近くのお店のテイクアウトのハンバーガーとサラダと
セブンイレブンで買ったパンやブリトーを、部屋のテラスで海を眺めながら食べて楽しかった。
2泊だから食事も工夫できたけど、3泊目となるとどこに行こうか悩むかな。
プロパティだけなら1カ月は住みたいくらいだったけど。


急に決まった夫の転職で思いもかけず時間ができて、鹿児島に沖縄とゼイタクな旅行をした。
もし再就職先が決まらなかったら、旅行なんていう気分になれなかったかもしれない。
もし再就職せずこれからはリタイアメント生活になると夫が決めたら、行こうと思わなかったホテルかもしれない。

夫のリタイアメント生活がほの見えた時に、
いったいどんな毎日になるのか、 旅行はどんなスタイルに変わるのか、
それはまったく見えないことに気づいた。

私としては、住んでいる東京の季節が悪い時(特に夏そして真冬の安い時)に、カラダが楽な場所に行くこと。
今まで一番高い時期にしか行けなかった旅行をオフシーズンの平日に安くお得に行くこと、
健康維持のためにも自炊しながら旅行したいこと、などなど夢想してきた。

それからもう一つ上げるとしたら、旅行友達が欲しいなあ。
いつも二人きりより、たまにはワイワイ夕食できるような。

夢を膨らませていたけれど、現実が見えた時カラダと気力がこの先ついてくるのか。
希望と不安が交錯したこの1カ月だった。

そして、3月に4軒の宿に泊まって私なりに出た結論は、「ひらまつが一番イイネ」ってことでした。
プロパティはもちろん、お食事がいい。ワインもいい。
そりゃあ従業員はどこも若い人ばっかりで私たちに話題を合わせろってのが無理だけど、
ひらまつの人たちはそれなりに教育されているし。

2022-02-28

2022年2月 オーケストラで思い出した
私の10代と40代

ご招待でオーケストラのコンサートに行ってきた。
ご招待でない限り行かないジャンルの音楽だ。つまりクラシック。

私は小学校高学年の時に NHKの児童少年合唱団にいたことがあって
今思えばその時、かなり高度な音楽に接したんだなあと思う。
2回か3回試験を受けて、半年の養成期間を経て
正団員になったと記憶している。

声変わりするまでは(女の子にだって声変わりはある)、
私は無限の高音が出せた 。自分でもいい声音だと思っていた。
正団員になった頃に声変わりしちゃったので、
児童合唱団でのパートはメゾアルトだったんだけど。

ソプラノでメロディを歌ったりソロを取ったりはできなかったけれど、
ハーモニーで旋律を支えるのは大好きだった。

なにせ放送局の児童合唱団だ。
テレビやラジオの番組のため、オーケストラに合わせて歌うのはもちろん、
グレゴリオ聖歌みたいな中世の音楽から「おでこのこいつ」や「マンモスの墓」といった現代音楽も歌った。

バックコーラスをしていた「歌はともだち」という、
週末の夜6時くらいからの番組にゲストで出てきた「チューリップ」のことは
その後を見る度に思い出す。

「歌はともだち」では、 自分たちの持ち歌を演奏し、
何か番組のテーマに合わせた歌をバンドの全員で歌った。

バンドという演奏形式も初めて見てそのうるさいのに驚いたし、
男の人が4人も5人も並んでマイクを持って、
「赤とんぼ」をユニゾンでしか歌えない。
それも下手くそなのですごくびっくりした。

その頃の私は譜面(楽譜)は渡されたら初見で歌えたし、
ハーモニーを作るのはもちろんコードも覚えた。
教えてもらったというよりは自然に身につけたんだと思う。
10代前半の経験だ。 クイズを解くように譜面を読み、
ハーモニーを作っていくことに素直に感動し、
どんなものでもぐんぐん吸収できた。

音感は生まれつきかなり良かったと思う。
アカペラで歌う時にA音を出すのはもっと上級生だったけど、
それの2度下をすぐ出せた。
オーケストラのコンサートで最初に音合わせをする時のあれです。

先日のコンサートで久しぶりにその音合わせを聞いたんだけど、
私にはC(ツェー)音(=ド)に聞こえるのだ。A(アー)音(=ラ)のはずなのに。
自分の感覚より2度高い。

つまり私の音域が下がったってことなんだな。


今、自分でC音を出しているつもりで YouTube でオーケストラのチューニングを出してみたら、 ピッタリ音があった! 
つまり私の音感は、世間より2度ずれてる「相対音感」になってしまったんだなあ。 (でもジャズやブルースを歌えるほどの渋い低音ではないんだよなぁ。)

児童合唱団は中1の夏に親の転勤・引っ越しで終わり、
ピアノは中3まで続けたけれど、特に才能もなく。
今やこの時の私の音楽経験は、時々思い出すくらいになってしまった。

そして20年以上が経ち、40歳を過ぎて着物が着られるようになった。
せっかくだから着物でできるお稽古しようと、
カルチャーセンターの長唄三味線教室に通いだした。

三味線はギターと違ってフレットがないので、
確実に勘所を押さえないと 正しいピッチの音が出ない。

絶対音感が相対音感に変わっても、私の耳はまだ
ピッチが狂った音には敏感だ。そしてとても気分が悪くなる。

でも私の40代の指には勘所をきちっと押さえる器用さがもうない。
どうしても 早弾きのところでピッチが狂ってしまう…。
そして弾いてて気分が悪い…。

このジレンマにかなり苦しんだあげく、
発表会のたびに出演料がどんどん上がるので
(貰うほうじゃなくて、発表会の舞台で弾くために払うお金です。家元制度あるある)
三味線を人に貸してやめてしまった。
多分貸している間に皮が破けるので、その人は返すに返せなくなるだろうと
目論んだのだ。( そしてたぶん目論見の通りになった。)

そして今は夫Gがジャカジャカ音楽を鳴らすのをうるさく思い、
時々かかるクラシックの曲名を言い当てて自分の10代前半を思い出す…。
それだけだ。

2022-02-02

2022年1月 旅行に行きたいよう

旅行に行きたくてたまらない。
へとへとサラリーマンの夫をお供にして
三密が守れるホテルや旅館に次々に予約を入れている。

2月の連休は箱根の温泉
ゴールデンウィークは沖縄
7月上旬に釧路から阿寒湖へ
8月は10日ほど函館へ
10月の連休は鹿児島
11月の連休は沖縄

ぜんぶ連休の週末なので宿泊代が高い高い。
あと1・2年で夫も平日に旅行できるようになるはずなんだけど
それまで待てない。

平日と週末とで3倍も値段が違うホテルに
ため息をつきながら予約を入れている。

そしてなんでこんなに旅行に行きたいのかなと考えてみる。
旅行に行くと言っても選ぶのは、
部屋に露天風呂が付いているようなおこもり用の宿ばかり。
宿と宿の間に美術館に行く程度で、観光名所を巡ったりするわけでもない。

でもね、部屋に着くなり服を脱ぎ捨てて露天風呂にどぼん。
景色を眺めながら体をほぐして、 グダグダになったところで
美味しいディナーをいただく。

良い加減に酔っ払って苦しいお腹をさすりながら
ふかふかのベッドで寝て、朝は目覚めるなりまたお風呂。
朝ごはんをガツガツ食べれば 満腹満足。

そんな夢のようなひとときって、なんて心地いいのだろう。
現実の生活が辛すぎて逃避のためというのなら自分でも言い訳できるんだけど…。
日常生活でも仕事もなくぼんやりしているだけで、そんなに辛いわけではない。

まあ谷底の家に住んでるので、景色が悪くて閉じ込められているような気分にはなるんだけどね。

今まで行ってよかったホテル

No1 ふたりこもれび
No2 ひらまつ宜野座
No3 洛邑

2022-01-05

2021年12月 お友達が欲しいよう

甲状腺の炎症は落ち着いているような気もするけど、
4日の人間ドックで胃壁が荒れていてがんリスクが高いとか、
肝機能や血糖値(ヘモグロビンa1c) が高めとか出てきた。
どれも甲状腺の炎症のせいにしたいんだけど、1月の再診を待たなくては。

(追記:
1月17日に胃カメラを飲んで、荒れた跡はあるけどそんなに大したことはないという診断。
書面の結果報告書待ち。

30年ぐらい前のアニサキス依頼の2回目の胃カメラだったけど、ずっとずっと苦しかった。
カメラが胃の中を這い回る間看護婦さんがずっと背中を撫でてくれてて、その手がありがたかった。)

体の寿命もあと20年ほどだろうし、このまま体力も気力もジリ貧に
なっていくんだろうなと最近あきらめてきた。
思えばコロナがそれを教えてくれた気がする。

それまでの生活が突然変わってしまって、引きこもり気味に。
ならばジョギングで体力をつけようと走ってみれば、
股関節も足ゆびもガタガタに。
コロナで立ち止まってみて初めて気がついたと言うべきか。

コロナで引きこもって人に合わなくなり、よく思い出すのは
コロナ前にしていた我が家での外国人向け料理教室と着物教室。
そして、そこにやってきた人たちのこと。

500人までは数えていたけれど、多分その倍ぐらい。
本当に色々な人が色々な国から来てくれた。

日本に住む留学生から、リタイア後世界中を旅行しているシニアまで。
私が英語しかできないのでアメリカ人が半分ぐらいだったけれど、
人口の割には 北欧の人が多かったな。
北欧の人は 特に日本文化への関心が高かった。

この教室については、記録を取っておけばよかった。
2015年にこのブログでちょっと始めたんだけど 、忙しくなりすぎて続かず…。
もったいなかったな。
その記事はこちら「わが家へのお客様