全くお恥ずかしい話だけれど、 ここのところ 続けてお客さんや同僚から数字の間違いや コピペ ミスを指摘されるようになった。
そのたびに自分自身に腹が立ち 、もうこんな仕事 やめちゃいたい と思う。 ちっとも楽しくないしって。
でもね、愕然とするのだ。 仕事辞めてどうするんだろう。
先月温泉で会った 同年代の友達と同じく、 私だって 何もすることないじゃない。
そして 先週のこと。 プールでガシガシ 泳いで、気持ちよくお風呂に入って家に戻ってきたら、右耳 が水が入ったみたいにボワボワしてよく聞こえない。
これが最近 同年代の人たちから時々聞く突発性難聴かと、近所の耳鼻科に。症状が出たらすぐにステロイドを服用した方がいい と聞いていたので慌てて。そしたら やっぱり その通りだった。
ステロイドのプレドニン錠剤を最初は10mg 、5日目からは5mg飲んだ。
医者に行った翌日から耳が詰まる感じは良くなった。でも聞こえに左右差があるかは自分ではよくわからない。
1週間後に 同じ 耳鼻科に行って 聴力検査をしたら、聞こえにくかった 右耳は左耳より聞こえるぐらいに。
逆に左耳は 前週より数値が悪い。
そして 両耳とも2000hz ぐらいのところが聞こえにくい と出ている。
これって女の人や 子供の声のゾーンじゃないの。
先生に理由を聞いてもぞもぞ 言うだけでよくわからない。( 先生は女性で栃木の人らしく 小さな声で話すから、声が聞こえにくいのだ。)
唯一理解できたのは左右の耳とも同じ傾向 なので、病変とかではなく 器質的なものではないか ってこと。
もう何年も前から、カワイコちゃん声の受付の人や ウェイトレスの説明の声が聞き取りにくくて、
「あなた、人に伝えるってこと考えてないでしょう」 と心の中で突っ込みながら、
伝えるつもりがないから聞いてやんないと 人のせいにしていた。
けれどこれって自分の耳の機能が劣っていたせいだったのね。
自分は割と 甲高い声だけれど、 友人に多いのは低い声で 渋くしゃべる女性ばかり。 それってこういうことだったのかな。
そして最近夫の声が甲高く聞こえて イライラするのよね。 老年期で夫の男性ホルモンが減ってきたからだと思っていたけれど、私の気持ちの問題かな。
2023-11-30
2023年11月 うつ状態の人とは旅行しないほうがいい。
ジムで仲良くなった同年輩の友人が、ご夫妻で那須塩原まで旅行に来たいという。
11月上旬の紅葉まっさかりの時期でどこも満室の中、なんとか塩原温泉の奥塩原高原ホテルに2部屋見つけて予約。
この時期の名物の、天井がオープンしているバスでの紅葉ツアーも予約し、久しぶりに友達に会えると、わくわく。
ところが久しぶりに会った彼女はどうも表情が硬い。
もともとそんなに愛想がいい人でもなかったから、私はそんなに気にもしなかったのだけれど、
一緒に温泉に入った時に「実は今、ぜんぜん眠れないの」と言い出す。
私に話を聞いてもらいたくて、ここまで来たというのだ。
あらま。まあでも温泉でまったりしてご飯を食べてくつろいでいれば、気分も晴れるでしょう。
そう思っていたのだけれど、晩ごはんのあと延々2時間ぐらい、ベッドにぐったりと横たわる彼女の手を握りながら、永遠のぐるぐる周りの彼女の愚痴を私は聞いていたのでした。
いよいよ下のお嬢さんが結婚して、かなり孤独感を感じているらしい。旦那さんは定年退職後も引き続きお仕事をすることがあってうらやましい。自分は何もすることがない。ジムに行っても挨拶をする程度の知り合いだけで、そんな人達はお友達とは言えない。夜ベッドに入っても翌朝起きて一日何もすることがないと思うと大変むなしい。なのでよく眠れない。心療内科にも行って眠剤を処方されたけれど、薬を飲むのが怖い。心療内科に行くのは夫が嫌がっている様子なので次の予約をキャンセルしてしまった。でも薬がないと眠れなくなるかもしれない。あと5日分しかないけれどどうしよう…。
いやはや疲れました。そしてそのネガティブなぐるぐる周りに私も引きずり込まれ、その後しばらく機嫌が悪くなり、夫のことをアル中だの尿漏れだの、罵る日々が続いた。
そんなこんなもあり、 12月下旬の東京に戻る引っ越しも決まり、
私もやけっぱちの気分で日々を過ごしている。
何せ急な転勤で、東京の家をシェアオフィス兼住居として使っていた友人に家から出てもらうことになったのが辛い。
本人はこれも一つの良いきっかけで、いよいよ自分のサロンを独立して持つからいいのよと言ってくれるのだけれど、転居で彼女の売り上げが落ちたりしたら、どうしよう…。
それとともに気になるのは、東京の家の冬の寒さだ。
なにせ今のマンションは寒冷地仕様で二重窓・床暖房。午前中は日差しがいっぱい降り注ぎ、エアコンなんかつけなくても室温は25度ぐらいになる。
午後2ー3時間しか日が当たらない我が家とは大違いなんだな。
というわけでただいまユーチューブとかアマゾンでバッテリーで服の中に仕込んだ電熱コイルを温める電熱ヒーターパンツを物色中だ。
11月上旬の紅葉まっさかりの時期でどこも満室の中、なんとか塩原温泉の奥塩原高原ホテルに2部屋見つけて予約。
この時期の名物の、天井がオープンしているバスでの紅葉ツアーも予約し、久しぶりに友達に会えると、わくわく。
ところが久しぶりに会った彼女はどうも表情が硬い。
もともとそんなに愛想がいい人でもなかったから、私はそんなに気にもしなかったのだけれど、
一緒に温泉に入った時に「実は今、ぜんぜん眠れないの」と言い出す。
私に話を聞いてもらいたくて、ここまで来たというのだ。
あらま。まあでも温泉でまったりしてご飯を食べてくつろいでいれば、気分も晴れるでしょう。
そう思っていたのだけれど、晩ごはんのあと延々2時間ぐらい、ベッドにぐったりと横たわる彼女の手を握りながら、永遠のぐるぐる周りの彼女の愚痴を私は聞いていたのでした。
いよいよ下のお嬢さんが結婚して、かなり孤独感を感じているらしい。旦那さんは定年退職後も引き続きお仕事をすることがあってうらやましい。自分は何もすることがない。ジムに行っても挨拶をする程度の知り合いだけで、そんな人達はお友達とは言えない。夜ベッドに入っても翌朝起きて一日何もすることがないと思うと大変むなしい。なのでよく眠れない。心療内科にも行って眠剤を処方されたけれど、薬を飲むのが怖い。心療内科に行くのは夫が嫌がっている様子なので次の予約をキャンセルしてしまった。でも薬がないと眠れなくなるかもしれない。あと5日分しかないけれどどうしよう…。
いやはや疲れました。そしてそのネガティブなぐるぐる周りに私も引きずり込まれ、その後しばらく機嫌が悪くなり、夫のことをアル中だの尿漏れだの、罵る日々が続いた。
そんなこんなもあり、 12月下旬の東京に戻る引っ越しも決まり、
私もやけっぱちの気分で日々を過ごしている。
何せ急な転勤で、東京の家をシェアオフィス兼住居として使っていた友人に家から出てもらうことになったのが辛い。
本人はこれも一つの良いきっかけで、いよいよ自分のサロンを独立して持つからいいのよと言ってくれるのだけれど、転居で彼女の売り上げが落ちたりしたら、どうしよう…。
それとともに気になるのは、東京の家の冬の寒さだ。
なにせ今のマンションは寒冷地仕様で二重窓・床暖房。午前中は日差しがいっぱい降り注ぎ、エアコンなんかつけなくても室温は25度ぐらいになる。
午後2ー3時間しか日が当たらない我が家とは大違いなんだな。
というわけでただいまユーチューブとかアマゾンでバッテリーで服の中に仕込んだ電熱コイルを温める電熱ヒーターパンツを物色中だ。
2023-11-01
2023年10月 月の出が見たい
せっかく 見晴らしのいいマンションに住めることになったのに
10ヶ月で東京のあの谷底の超狭小住宅に戻るとは。
北に日光連山、南に茨城 との 県境の山々が見えるこの景色。 なんと 名残惜しいことか。
最近は時間が遅くなったので、日の出のは毎朝見ているけれど、月の出は見たことがない。
今年の中秋の名月(8月31日の スーパームーン)は、マンションの他のベランダから聞こえた「わあ」 という声に気づいて外を見たら、ちょっと見上げる位置にもうドカンと上がっていた。
遮る物がない那須塩原の市外に浮かぶ月はとても大きく見えた。
その次の満月の日は東京に戻っていたので、渋谷のスクランブル交差点から見上げたビルの間にあった。とても小さかった。
そしていよいよ 10月29日の満月。
この日はホテルエピナール那須に泊まっていたので、気がついたら上空にあった。
この時の月の出は17時近くとネットで調べていたので、 翌日の十六夜の月の出を見ようと、
17時ごろからベランダと部屋をウロウロ。
なかなか出ないので変だなぁとネットで検索したらなんと、
月の出は毎日50分ずつ遅くなるんだそうだ。
しかもちょうど出るころに話が長いお客さん( つまり 年配女性) から電話がかかってきて、
やっと終わって外を見たら あら残念。もうだいぶ 上がっていた。
そして満を持して 17日目の月。
この日は18時12分の月の出。ベランダに出て、東の方向に目を凝らしたら、
山のちょっと上に薄ぼんやりと オレンジのいびつな丸が浮かんでいるではないか。
それがちょっとずつちょっとずつ、明るく なって位置が上がる。
最近聞いた 小説で知ったんだけど、月は2分で月1個分 移動する そうだ。
(「月の立つ林で」青山美智子著より240325)
ああ、もう1年ぐらいここにいたかったなあ。
2年目の四季折々は、もっとうまく過ごせたのに。
春になったら ベランダにゴーヤをたくさん植えて 夏の日差しを遮ろう。
東京の家では育たなかった野菜や ハーブの種をいっぱい まいて、 ベランダ園芸を楽しもう。
那須塩原からたくさん出ている無料のシャトルバスに乗って、日帰りの温泉に行こう。
アウトレットにも行こう などなど。
夏だけちょっと涼しい場所に住む楽しみを覚えたので、次の候補地はどこだろうと 折々考えている。
軽井沢より 那須塩原 はずっと 安い はず。
伊豆高原もコロナが始まった頃に 丘の上のリゾートマンションホテルに泊まったけど、
山から海に抜ける風がとても気持ちが良かった。
函館 はもう何度も行ったけど、暮らすとなると、 そうそう 景色のいいキッチン付きの部屋はなさそうだ。
考え始めるときりがない。
おかげで ボーっとする時間が増えて、書類のタイトルを間違えたり 入力を間違えたり…。
最近困った状態になっている。
もう事務作業は無理かな。
10ヶ月で東京のあの谷底の超狭小住宅に戻るとは。
北に日光連山、南に茨城 との 県境の山々が見えるこの景色。 なんと 名残惜しいことか。
最近は時間が遅くなったので、日の出のは毎朝見ているけれど、月の出は見たことがない。
今年の中秋の名月(8月31日の スーパームーン)は、マンションの他のベランダから聞こえた「わあ」 という声に気づいて外を見たら、ちょっと見上げる位置にもうドカンと上がっていた。
遮る物がない那須塩原の市外に浮かぶ月はとても大きく見えた。
その次の満月の日は東京に戻っていたので、渋谷のスクランブル交差点から見上げたビルの間にあった。とても小さかった。
そしていよいよ 10月29日の満月。
この日はホテルエピナール那須に泊まっていたので、気がついたら上空にあった。
この時の月の出は17時近くとネットで調べていたので、 翌日の十六夜の月の出を見ようと、
17時ごろからベランダと部屋をウロウロ。
なかなか出ないので変だなぁとネットで検索したらなんと、
月の出は毎日50分ずつ遅くなるんだそうだ。
しかもちょうど出るころに話が長いお客さん( つまり 年配女性) から電話がかかってきて、
やっと終わって外を見たら あら残念。もうだいぶ 上がっていた。
そして満を持して 17日目の月。
この日は18時12分の月の出。ベランダに出て、東の方向に目を凝らしたら、
山のちょっと上に薄ぼんやりと オレンジのいびつな丸が浮かんでいるではないか。
それがちょっとずつちょっとずつ、明るく なって位置が上がる。
最近聞いた 小説で知ったんだけど、月は2分で月1個分 移動する そうだ。
(「月の立つ林で」青山美智子著より240325)
ああ、もう1年ぐらいここにいたかったなあ。
2年目の四季折々は、もっとうまく過ごせたのに。
春になったら ベランダにゴーヤをたくさん植えて 夏の日差しを遮ろう。
東京の家では育たなかった野菜や ハーブの種をいっぱい まいて、 ベランダ園芸を楽しもう。
那須塩原からたくさん出ている無料のシャトルバスに乗って、日帰りの温泉に行こう。
アウトレットにも行こう などなど。
夏だけちょっと涼しい場所に住む楽しみを覚えたので、次の候補地はどこだろうと 折々考えている。
軽井沢より 那須塩原 はずっと 安い はず。
伊豆高原もコロナが始まった頃に 丘の上のリゾートマンションホテルに泊まったけど、
山から海に抜ける風がとても気持ちが良かった。
函館 はもう何度も行ったけど、暮らすとなると、 そうそう 景色のいいキッチン付きの部屋はなさそうだ。
考え始めるときりがない。
おかげで ボーっとする時間が増えて、書類のタイトルを間違えたり 入力を間違えたり…。
最近困った状態になっている。
もう事務作業は無理かな。
2023-09-14
2023年9月 いよいよ (と思ったのに。10月追記)
転勤して半年、夫がついに気力付き果て、サラリーマン生活を辞めることになった。
その経緯があまりにもかわいそうで、辞めるのもやむなし。
でももうちょっと何とかならなかったのかなと悔しい。
私みたいにやる気も能力もそこそこの人間だったら、 会社でいろんな嫌な目に合うのもまあしょうがないと思えるけれど。
40年近くイキイキと働いてきた夫の最後にしてはあまりにも切ない。
夫から仕事を取ったら何が残るのか 非常に心配ではあるけれど。
嫌なことは忘れて、楽しくやっていきましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とすべてを素直に受け入れて、そうなったらANAの修行しようとか、
3週間くらいカリブ海クルーズ行っちゃおうとかいろいろ考えていたのに。
けっきょく同じ会社で勤務場所を変えて、
つまり東京に戻りサラリーマン生活を継続することになった。
申し訳ないのは、東京の我が家をシェアオフィスとして使っている友人。
元のアパートを退去し、家財道具一切を我が家に持ち込んでいたのだが
オフィスとして使っていただくのは継続するけれど
生活は別に持ってもらうことになる。
私だってここ(那須塩原市)の生活気に入ってたのになあ。
その経緯があまりにもかわいそうで、辞めるのもやむなし。
でももうちょっと何とかならなかったのかなと悔しい。
私みたいにやる気も能力もそこそこの人間だったら、 会社でいろんな嫌な目に合うのもまあしょうがないと思えるけれど。
40年近くイキイキと働いてきた夫の最後にしてはあまりにも切ない。
夫から仕事を取ったら何が残るのか 非常に心配ではあるけれど。
嫌なことは忘れて、楽しくやっていきましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とすべてを素直に受け入れて、そうなったらANAの修行しようとか、
3週間くらいカリブ海クルーズ行っちゃおうとかいろいろ考えていたのに。
けっきょく同じ会社で勤務場所を変えて、
つまり東京に戻りサラリーマン生活を継続することになった。
申し訳ないのは、東京の我が家をシェアオフィスとして使っている友人。
元のアパートを退去し、家財道具一切を我が家に持ち込んでいたのだが
オフィスとして使っていただくのは継続するけれど
生活は別に持ってもらうことになる。
私だってここ(那須塩原市)の生活気に入ってたのになあ。
2023-09-03
2023年8月 バルセロナからローマまで、地中海クルーズ旅行に行ってきた。
2020年2月以来、3年ぶりに 飛行機に乗って ヨーロッパに行ってきた。
思いついたのが今年のゴールデンウィークの直前。
高い高い 航空券を定価で買った。
でもいいのだ。
・いつまで健康体で海外旅行ができるか
・いつ 次のパンデミックがやってくるか
・地球が いつまでもつのか
今行かなくて、次にいつ行けるかわからない。
羽田からヒースロー 経由 バルセロナへのフライトは、
ロシアを回避して アラスカ上空から北極圏を飛ぶ 14時間。
羽田の出発が30分遅れたせいで、ヒースローでの 乗り継ぎ便が変更になり3時間待ち。
さらにそのフライトが遅れて、 バルセロナへの到着が予定より5時間も遅くなった。
バルセロナの空港 ホテルには19時頃到着のはずが よく朝1時に。 ヘトヘトになった。
これからヨーロッパに出かけるとなるとずっとこんな感じなんだろう。
前のように12時間ぐらいでヨーロッパに行くには ロシアの上空を飛ばなくてはならない。
そんな日がまた来るのだろうか。
2019年の夏に サンクト ペテルブルグに行っておいて 良かったなぁ としみじみ思う。
詳細な 旅行記は後日。
思いついたのが今年のゴールデンウィークの直前。
高い高い 航空券を定価で買った。
でもいいのだ。
・いつまで健康体で海外旅行ができるか
・いつ 次のパンデミックがやってくるか
・地球が いつまでもつのか
今行かなくて、次にいつ行けるかわからない。
羽田からヒースロー 経由 バルセロナへのフライトは、
ロシアを回避して アラスカ上空から北極圏を飛ぶ 14時間。
羽田の出発が30分遅れたせいで、ヒースローでの 乗り継ぎ便が変更になり3時間待ち。
さらにそのフライトが遅れて、 バルセロナへの到着が予定より5時間も遅くなった。
バルセロナの空港 ホテルには19時頃到着のはずが よく朝1時に。 ヘトヘトになった。
これからヨーロッパに出かけるとなるとずっとこんな感じなんだろう。
前のように12時間ぐらいでヨーロッパに行くには ロシアの上空を飛ばなくてはならない。
そんな日がまた来るのだろうか。
2019年の夏に サンクト ペテルブルグに行っておいて 良かったなぁ としみじみ思う。
詳細な 旅行記は後日。
2023-08-02
2023年7月 左手首骨折から6週間、手術から1か月ちょっと、抜糸から3週間
7月1日に退院してもう1ヶ月が経った。
手術後 10日は傷の上に マイクロポアテープを貼ったまま
その上の パーミパッド(防水保護 ガーゼ) だけを自分で 毎日取り替える。
水には濡らさないように長めのキッチン手袋でカバー。
傷が熱を持っている間は アイスクリーム用の保冷剤で冷やしていたけれど
1週間ほどで傷が落ち着いてくれば不要になった。
そして6月29日の手術から12日目、退院から10日目。
傷の上に貼っていた マイクロポアテープを先生が剥がしてくれて
ボコボコの傷跡が現れた。
傷はふさがっているのでこのまま露出した状態で、濡らしてもこすってもいいという。
けっこう見た目、グロいんだけど。
でも嬉しくって、両手で髪を洗ったり早速 白髪染めしたり。
そしてジムも再開。下半身のマシントレーニングとスクワットを中心に。
泳ぐのはまだだけど、 ジャグジーに浸かって指のリハビリ。
なんて気持ちいい。
骨折箇所の上に乗っているチタンのプレートだけど
骨が変化するとずれてくるから半年から1年で取った方がいいそうで。
( ネット情報 だと 入れたままの国も多いみたいだけど)
また 2泊3日の入院になる。
次はもうちょっと季節がいい時がいいかな。 傷口が熱くて重いのはもう嫌だ。
手術をした左手だけど、ギプスで12日も 固めていたせいか、
親指がピクリとも動かなくなっていた。
作業療法士の人たちに ストレッチやマッサージの方法を教わり
暇さえあれば手首や指を動かすようにして
なんとか 動くようになってきた。
でもまだ 元通りではない。
ギプスの12日間で固まっちゃったけど、もとに戻そうとするとその2倍、3倍の時間がかかる。
老人が寝たきりになると、あっという間に動けなくなるのがよくわかる。
これから先また、どこかを動かせなくなるような怪我や病気をしたら、めっきり衰えるんだろうな。
からだを動かせるうちにいろいろ遊んでおかなくては。 といつもの決意をまた新たにしたのであった。
手術後 10日は傷の上に マイクロポアテープを貼ったまま
その上の パーミパッド(防水保護 ガーゼ) だけを自分で 毎日取り替える。
水には濡らさないように長めのキッチン手袋でカバー。
傷が熱を持っている間は アイスクリーム用の保冷剤で冷やしていたけれど
1週間ほどで傷が落ち着いてくれば不要になった。
そして6月29日の手術から12日目、退院から10日目。
傷の上に貼っていた マイクロポアテープを先生が剥がしてくれて
ボコボコの傷跡が現れた。
傷はふさがっているのでこのまま露出した状態で、濡らしてもこすってもいいという。
けっこう見た目、グロいんだけど。
でも嬉しくって、両手で髪を洗ったり早速 白髪染めしたり。
そしてジムも再開。下半身のマシントレーニングとスクワットを中心に。
泳ぐのはまだだけど、 ジャグジーに浸かって指のリハビリ。
なんて気持ちいい。
骨折箇所の上に乗っているチタンのプレートだけど
骨が変化するとずれてくるから半年から1年で取った方がいいそうで。
( ネット情報 だと 入れたままの国も多いみたいだけど)
また 2泊3日の入院になる。
次はもうちょっと季節がいい時がいいかな。 傷口が熱くて重いのはもう嫌だ。
手術をした左手だけど、ギプスで12日も 固めていたせいか、
親指がピクリとも動かなくなっていた。
作業療法士の人たちに ストレッチやマッサージの方法を教わり
暇さえあれば手首や指を動かすようにして
なんとか 動くようになってきた。
でもまだ 元通りではない。
ギプスの12日間で固まっちゃったけど、もとに戻そうとするとその2倍、3倍の時間がかかる。
老人が寝たきりになると、あっという間に動けなくなるのがよくわかる。
これから先また、どこかを動かせなくなるような怪我や病気をしたら、めっきり衰えるんだろうな。
からだを動かせるうちにいろいろ遊んでおかなくては。 といつもの決意をまた新たにしたのであった。
2023-07-01
2023年6月-3 左橈骨遠位端骨折手術 そしてリハビリ
手術までは長い長い12日だったけど、入院して手術着に着替えれば後はあっという間。
全身麻酔 だからと丁寧な説明を受け 緊張したけれど
眠ってしまえば後は何もわからず。
9時半に歩いて手術室に向かい、12時頃ベッドごと 部屋に戻る。
2時間は酸素マスクをつけたまま で水も飲めない。
酸素マスクが取れても外すには 先生の許可が必要という、指や胸についているバイタルが邪魔で自由にトイレも行けない。
看護師さんが一時的に外してくれて手術着から パジャマに着替えるのも手伝ってくれ
麦茶のペットボトルも2本買ってきてくれて、水だけは好きなだけ飲めるようになった。
やっと少し 人間に戻った心地。
夕方7時頃先生が見に来て 指や胸についているバイタルを外してもらい、
点滴ポールを持ったままトイレにも行けるようになった。
こうやって ちょっとずつ体の自由が戻ってくるのが本当に嬉しいのだ。
自由に動けるようにはなったけど、傷の痛みがだんだん激しくなってきて
冷やしながら寝るんだけど 1時間おきぐらいに目が覚めてしまう。
手術日は 丸1日絶食とのことでお腹が空いてたまらない。
本当は点滴で栄養が入っているので空腹は感じなくて済むはずなんだけど、
食いしん坊の私は 何かを食べたい。
お腹が満ちていないから痛みを感じるのだと変な理屈を自分でつけてしまう。
起きたり寝たりラジオをつけたり消したり。
時々 部屋に入ってくる看護師さんと話をしたり、なんとか気を紛らわした。
手術日 翌朝の朝食がなんと 待ち遠しかったことか。
翌日の午前中は まだ痛かったけれど、指を動かしているうちになんとなく痛みも引いてくる。
朝9時に先生が腕の包帯を外してくれ、傷口の上に消毒 シールを貼っただけの状態に。
昨日まで添木と包帯でぐるぐる巻きのガンダムの腕が、 あっという間に 元に戻った。
と言っても指の血色は悪いし パンパンにむくんでいるし、動かせと言われても痛くて指が曲がらない。
手のひらをひねるのも大変。
そこをなんとか動かしていかないと固まったままで痛みも引かないそうで。
一生懸命 リハビリに通うしかないですね。
2ヶ月ぐらいは500ml のペットボトル以上のものは持ってはいけないそうで。
泳げるようになるのはいつかな…。
骨の再生のためにも この先 こけないようにするためにも、
下半身に筋肉をつけることは大切だなと実感。
スクワット・レッグプレス・ももの 内側を鍛え 足を開いたり閉じたりのマシンも。 やっていかなくては。
全身麻酔 だからと丁寧な説明を受け 緊張したけれど
眠ってしまえば後は何もわからず。
9時半に歩いて手術室に向かい、12時頃ベッドごと 部屋に戻る。
2時間は酸素マスクをつけたまま で水も飲めない。
酸素マスクが取れても外すには 先生の許可が必要という、指や胸についているバイタルが邪魔で自由にトイレも行けない。
看護師さんが一時的に外してくれて手術着から パジャマに着替えるのも手伝ってくれ
麦茶のペットボトルも2本買ってきてくれて、水だけは好きなだけ飲めるようになった。
やっと少し 人間に戻った心地。
夕方7時頃先生が見に来て 指や胸についているバイタルを外してもらい、
点滴ポールを持ったままトイレにも行けるようになった。
こうやって ちょっとずつ体の自由が戻ってくるのが本当に嬉しいのだ。
自由に動けるようにはなったけど、傷の痛みがだんだん激しくなってきて
冷やしながら寝るんだけど 1時間おきぐらいに目が覚めてしまう。
手術日は 丸1日絶食とのことでお腹が空いてたまらない。
本当は点滴で栄養が入っているので空腹は感じなくて済むはずなんだけど、
食いしん坊の私は 何かを食べたい。
お腹が満ちていないから痛みを感じるのだと変な理屈を自分でつけてしまう。
起きたり寝たりラジオをつけたり消したり。
時々 部屋に入ってくる看護師さんと話をしたり、なんとか気を紛らわした。
手術日 翌朝の朝食がなんと 待ち遠しかったことか。
翌日の午前中は まだ痛かったけれど、指を動かしているうちになんとなく痛みも引いてくる。
朝9時に先生が腕の包帯を外してくれ、傷口の上に消毒 シールを貼っただけの状態に。
昨日まで添木と包帯でぐるぐる巻きのガンダムの腕が、 あっという間に 元に戻った。
と言っても指の血色は悪いし パンパンにむくんでいるし、動かせと言われても痛くて指が曲がらない。
手のひらをひねるのも大変。
そこをなんとか動かしていかないと固まったままで痛みも引かないそうで。
一生懸命 リハビリに通うしかないですね。
2ヶ月ぐらいは500ml のペットボトル以上のものは持ってはいけないそうで。
泳げるようになるのはいつかな…。
骨の再生のためにも この先 こけないようにするためにも、
下半身に筋肉をつけることは大切だなと実感。
スクワット・レッグプレス・ももの 内側を鍛え 足を開いたり閉じたりのマシンも。 やっていかなくては。
2023-06-30
2023年6月-2 片手ライフ
病院で示された 治療法は
1 ギプスで肘 上から 手の甲まで1・2ヶ月 固定する
2 折れたところにチタンのプレートを のせる手術をして固定する
プレートの方が治りが早いというので手術を選択。 ただし 手術は12日後と言うのだ。
この12日間が辛かった。
何せ ギプスが重い。 添え木 と包帯だけで500g。腫れを引かせるために さらにその上にサポーターで保冷剤を置く。
それで合計700g ぐらい、 左腕の方が重いという アンバランスになった。
先生は冷やすのは 3 ・4日ぐらいでいいのでは と言ったけど、
夏の始まりの この時期 保冷剤で冷やさないとギプスの中が熱くて。
結局2・3時間おきに 保冷剤を 変える毎日となった。
もう一つ 言われたのは、腕は心臓より高くして血が下がらないようにする方がいいと。
なのでパソコンに向かう時は左手は支えの上に乗せ 常に「はーい」と手を上げているような状態。
そしてこの重たいギプス+保冷剤と「はーい」のポーズが折れた方の腕の側の背筋をガチガチにするのだ。
片腕だけでは横になれない。起き上がれない。
バランスが取りにくいから歩くのはゆっくりだし、何より片腕だけでは何をするにも
両腕が使える時の3倍の時間がかかる。
Web サイト や YouTube に片腕しか使えない時の家事の工夫 など たくさんアップされていて これも驚きだった。
今の世の中何でもすぐわかるんだな。
まな板に濡れ布巾を敷いて包丁を使えば野菜は転がらない。
瓶の蓋は引き出しで瓶を固定して蓋を片手で回す。
それに加えて左手の代わりに 肘や歯をよく使った。
キーボードのタイプは右手だけで行う。
キーボードの上を右手を右から左に動かして打つので時間がかかる。
「高橋さん」なんて打つには、右手人差し指を右から左に何度も動かさなくてはならなくて、
日本人の名前ってどうしてこんなに面倒なのかしらと思ったりして。
便利に使っていたショートカットキーも右手だけじゃ届かないのがある。
左手で打てるようになったとしてもそのショートカットキーを覚えているかどうか。
手術まで12日も待つのは長すぎないか…。
そんなに経ったら骨が変な風に固まってプレートの効果もなくなるのでは…。
不安は募る。
なので アスクドクターの有料会員になって 質問までしてみた。
12日目でも手術は問題ないと 各ドクター は 言ってくれたけど、
12日も待つのは 病院都合で5日ぐらいで手術する人が多いと 知って、逆にがっかりした。
いよいよ 水曜日から入院という月曜日になって、8度を超える熱が出て焦った。
熱があったら手術してもらえなくなってしまう!
痛み止めとして処方された ロキソニンを飲めば 汗がばーっと出て熱は下がる。
でも ロキソニンの効果は10時間ぐらい。 入院の日の朝になってもまだ熱が出るので、
病院に行く直前にロキソニンを飲み、 手術前日の検温は クリア。
手術の日の朝の検温をクリアするためには、 何時間前にロキソニンを飲めばいいのだろうか…。
夜9時以降の飲食は禁止なのに…。
結局 夜9時に飲む下剤のちょっと後にロキソニンをこっそり飲み、
手術の朝の検温もクリア。喉が詰まって鼻水が出るのが気になるけど、
看護師さんも 麻酔の先生も気づかない程度だから大丈夫なんでしょう。
1 ギプスで肘 上から 手の甲まで1・2ヶ月 固定する
2 折れたところにチタンのプレートを のせる手術をして固定する
プレートの方が治りが早いというので手術を選択。 ただし 手術は12日後と言うのだ。
この12日間が辛かった。
何せ ギプスが重い。 添え木 と包帯だけで500g。腫れを引かせるために さらにその上にサポーターで保冷剤を置く。
それで合計700g ぐらい、 左腕の方が重いという アンバランスになった。
先生は冷やすのは 3 ・4日ぐらいでいいのでは と言ったけど、
夏の始まりの この時期 保冷剤で冷やさないとギプスの中が熱くて。
結局2・3時間おきに 保冷剤を 変える毎日となった。
もう一つ 言われたのは、腕は心臓より高くして血が下がらないようにする方がいいと。
なのでパソコンに向かう時は左手は支えの上に乗せ 常に「はーい」と手を上げているような状態。
そしてこの重たいギプス+保冷剤と「はーい」のポーズが折れた方の腕の側の背筋をガチガチにするのだ。
片腕だけでは横になれない。起き上がれない。
バランスが取りにくいから歩くのはゆっくりだし、何より片腕だけでは何をするにも
両腕が使える時の3倍の時間がかかる。
Web サイト や YouTube に片腕しか使えない時の家事の工夫 など たくさんアップされていて これも驚きだった。
今の世の中何でもすぐわかるんだな。
まな板に濡れ布巾を敷いて包丁を使えば野菜は転がらない。
瓶の蓋は引き出しで瓶を固定して蓋を片手で回す。
それに加えて左手の代わりに 肘や歯をよく使った。
キーボードのタイプは右手だけで行う。
キーボードの上を右手を右から左に動かして打つので時間がかかる。
「高橋さん」なんて打つには、右手人差し指を右から左に何度も動かさなくてはならなくて、
日本人の名前ってどうしてこんなに面倒なのかしらと思ったりして。
便利に使っていたショートカットキーも右手だけじゃ届かないのがある。
左手で打てるようになったとしてもそのショートカットキーを覚えているかどうか。
手術まで12日も待つのは長すぎないか…。
そんなに経ったら骨が変な風に固まってプレートの効果もなくなるのでは…。
不安は募る。
なので アスクドクターの有料会員になって 質問までしてみた。
12日目でも手術は問題ないと 各ドクター は 言ってくれたけど、
12日も待つのは 病院都合で5日ぐらいで手術する人が多いと 知って、逆にがっかりした。
いよいよ 水曜日から入院という月曜日になって、8度を超える熱が出て焦った。
熱があったら手術してもらえなくなってしまう!
痛み止めとして処方された ロキソニンを飲めば 汗がばーっと出て熱は下がる。
でも ロキソニンの効果は10時間ぐらい。 入院の日の朝になってもまだ熱が出るので、
病院に行く直前にロキソニンを飲み、 手術前日の検温は クリア。
手術の日の朝の検温をクリアするためには、 何時間前にロキソニンを飲めばいいのだろうか…。
夜9時以降の飲食は禁止なのに…。
結局 夜9時に飲む下剤のちょっと後にロキソニンをこっそり飲み、
手術の朝の検温もクリア。喉が詰まって鼻水が出るのが気になるけど、
看護師さんも 麻酔の先生も気づかない程度だから大丈夫なんでしょう。
2023-06-28
2023年6月 そして転んで手首骨折
ゴールデンウィークの旅行から戻り、 いよいよ家も片付き、
ジムでおじいさん達をかき分けて孤独に泳ぐのにも慣れ、
2週に1度の週末には東京の家に戻る。
東京では庭木を切ったり高い高い(と感じる)東京のレストランに行ったり、
そんな生活にも慣れてきた …ところだった。
夫の会社の先輩の、近所の高級別荘地に週末だけ 暮らす ご夫婦に誘われて、
ドライブ&ハイキングに行った。
この辺の名勝を色々教えてくださるというので、それはそれは楽しみにしていた。
お目にかかってまず道の駅に行き地元の野菜市場を見学。
じゃあ 渓谷の吊り橋にでも行きましょうと高所へドライブ。
車を降りて橋を渡って歩き出したところで濡れた道に足が滑って両足が前に投げ出され ズドンとお尻から落ちてしまった。
Lの字に体が投げ出された時にやばいと思ったけど、 どこをどう庇えばいいかわからず。
落ちた後は けつっぺたと背中、そして 左手首が痛くて、背中の痛みで息が浅く早くなっている。
とりあえず 起き上がって歩けたので 腰は大丈夫そうだ。息も落ち着いてきた。
でも 左手首が痛いぞ。捻挫かひびでも入ったか…。
途中で帰ると言い出すには失礼な関係だったし、何とか今日一緒楽しもうと決意。
だってこの辺りに週末やっている病院があるかもわからない。
右手で左手を支えて揺れる吊り橋を戻って( 怖かったよー)、
車に置いてあったシャンパンクーラー( 瓶にかぶせる形のもの)に手首を突っ込み
コンビニでもらった保冷剤を当てれば痛みも引いてくる。
「捻挫かなー、捻挫だといいなあ」ずっとそう思いながら 別荘に戻り
DIY で建て増しし 丹精している畑やバラ園を見せていただき、
また車に乗って お蕎麦を食べに行き、牧場に行ってチーズを買ったり
ワイナリーやコーヒー屋さんに行って 説教だか こだわりだかわからない うんちくを聞いたり。
自分が住んでいる すぐ近くに こんなに色々あるんだと楽しかった。
車が揺れると手首が痛むのが辛かったけど、冷やして 吊っていれば普通にしていられる。
その後別荘に戻り 持参のワインを奥様の手料理でいただき、楽しくおしゃべり。
片手で料理も パクパク食べて お酒はちょっと 控えめに。(でも飲んだけど。)
そろそろ帰るとなってもタクシーはなかなか来ない。やっと来たタクシーで家まで一直線。
本当は近くの電車の駅までのつもりだったけど、痛いし。
昔バブル期に 川崎に住んでいた頃 銀座から高速使って帰ったくらいのタクシー代がかかったよ。
まあでもレンタカー借りるとか車持って税金とガソリン代払うとか思えば安いもんだ。
家に帰ってから住んでいる地方都市の広報誌を見る。 確か 休日診療所が載っていたはず。
日赤にかけて 当番医を教えてもらい、普段ならバスで20分くらいのところなので安心する。
夜10時過ぎてたけど またタクシー呼んで病院の夜間窓口に行く。
噂に聞く ER だけど患者は他にいず、若い 事務の人、インターン風の人たちが
テキパキと手続きし、レントゲンを撮ってくれる。技師さんもちゃんといた。
病院で初めて ワインクーラーを外したけど
「そんなに腫れてませんね」 との言葉に
「やっぱり 捻挫 かな」と気持ちが上がる。
でもすぐにやってきた お医者さんに
「骨折ですよ」 と言われて がっくり。
施術室に行って 局所麻酔で手首を引っ張って骨をまっすぐにしてもらい、
添え木 してそれを包帯で巻いて終了。
次は明後日の月曜日と予約を取って ロキソニン(痛み止め) をもらう。
帰るのにタクシーを呼んだら同じタクシーの運転手さんだった。
家に戻ったら1時ぐらいだった。
それから 片手ライフが始まった。
ジムでおじいさん達をかき分けて孤独に泳ぐのにも慣れ、
2週に1度の週末には東京の家に戻る。
東京では庭木を切ったり高い高い(と感じる)東京のレストランに行ったり、
そんな生活にも慣れてきた …ところだった。
夫の会社の先輩の、近所の高級別荘地に週末だけ 暮らす ご夫婦に誘われて、
ドライブ&ハイキングに行った。
この辺の名勝を色々教えてくださるというので、それはそれは楽しみにしていた。
お目にかかってまず道の駅に行き地元の野菜市場を見学。
じゃあ 渓谷の吊り橋にでも行きましょうと高所へドライブ。
車を降りて橋を渡って歩き出したところで濡れた道に足が滑って両足が前に投げ出され ズドンとお尻から落ちてしまった。
Lの字に体が投げ出された時にやばいと思ったけど、 どこをどう庇えばいいかわからず。
落ちた後は けつっぺたと背中、そして 左手首が痛くて、背中の痛みで息が浅く早くなっている。
とりあえず 起き上がって歩けたので 腰は大丈夫そうだ。息も落ち着いてきた。
でも 左手首が痛いぞ。捻挫かひびでも入ったか…。
途中で帰ると言い出すには失礼な関係だったし、何とか今日一緒楽しもうと決意。
だってこの辺りに週末やっている病院があるかもわからない。
右手で左手を支えて揺れる吊り橋を戻って( 怖かったよー)、
車に置いてあったシャンパンクーラー( 瓶にかぶせる形のもの)に手首を突っ込み
コンビニでもらった保冷剤を当てれば痛みも引いてくる。
「捻挫かなー、捻挫だといいなあ」ずっとそう思いながら 別荘に戻り
DIY で建て増しし 丹精している畑やバラ園を見せていただき、
また車に乗って お蕎麦を食べに行き、牧場に行ってチーズを買ったり
ワイナリーやコーヒー屋さんに行って 説教だか こだわりだかわからない うんちくを聞いたり。
自分が住んでいる すぐ近くに こんなに色々あるんだと楽しかった。
車が揺れると手首が痛むのが辛かったけど、冷やして 吊っていれば普通にしていられる。
その後別荘に戻り 持参のワインを奥様の手料理でいただき、楽しくおしゃべり。
片手で料理も パクパク食べて お酒はちょっと 控えめに。(でも飲んだけど。)
そろそろ帰るとなってもタクシーはなかなか来ない。やっと来たタクシーで家まで一直線。
本当は近くの電車の駅までのつもりだったけど、痛いし。
昔バブル期に 川崎に住んでいた頃 銀座から高速使って帰ったくらいのタクシー代がかかったよ。
まあでもレンタカー借りるとか車持って税金とガソリン代払うとか思えば安いもんだ。
家に帰ってから住んでいる地方都市の広報誌を見る。 確か 休日診療所が載っていたはず。
日赤にかけて 当番医を教えてもらい、普段ならバスで20分くらいのところなので安心する。
夜10時過ぎてたけど またタクシー呼んで病院の夜間窓口に行く。
噂に聞く ER だけど患者は他にいず、若い 事務の人、インターン風の人たちが
テキパキと手続きし、レントゲンを撮ってくれる。技師さんもちゃんといた。
病院で初めて ワインクーラーを外したけど
「そんなに腫れてませんね」 との言葉に
「やっぱり 捻挫 かな」と気持ちが上がる。
でもすぐにやってきた お医者さんに
「骨折ですよ」 と言われて がっくり。
施術室に行って 局所麻酔で手首を引っ張って骨をまっすぐにしてもらい、
添え木 してそれを包帯で巻いて終了。
次は明後日の月曜日と予約を取って ロキソニン(痛み止め) をもらう。
帰るのにタクシーを呼んだら同じタクシーの運転手さんだった。
家に戻ったら1時ぐらいだった。
それから 片手ライフが始まった。
2023-04-27
2023年3月・4月 そして マンション暮らしが始まった
3月31日に東京の家から荷物を 半分出し、 4月1日に転勤先のマンションに運び込む。
ほぼ20年ぶりの マンション暮らしが始まった。
東京の超狭少住宅もそうとう断熱にこだわって設計したつもりだったけど、 マンションのなんと暖かいこと。
そして家の中にいて朝日も夕日も見ることができるのに感動する。
部屋は9階で外から見えないので、カーテンを付けていない。 なので毎朝4時半には 寝室が明るくなって目が覚めてしまう。
心配なのは家の中に階段がないので運動不足になること。
ジムには入ったけれど プールで泳ぐことしかしないので、腰回りがかなりどっしりしてきた気がする。(追記:そして冷えたせいか、股関節痛再発)
車がない生活は相変わらずだ。
夫は新しい職場でそうとう驚かれているそうだけれど、アメリカにいた時だって私たちは車のない生活をしていたのだ。
幸運にも ここは20分も歩けば 大きなスーパーも農協もあるようなエリアだ。
らでぃっしゅぼーや(野菜 プラスアルファの宅配)を利用しながら、足りないものはリュックを担いで 週末に買い出しに行けばそんなに困らない気がしている。
まだ悪天候の洗礼は受けていないけれど。
夫の通勤は、歩いて3分ぐらいのところから 会社運営のシャトルバスが出ているので、東京の通勤ラッシュが嘘のようだそうだ。
私が行くジムは今までのジムよりもっと近くて、往復3500歩くらい。(今までは往復5000歩くらい)
4月半ばに段ボールもほぼ片付いて、今までよりずいぶん狭く感じるキッチンで、夫とぶつかり合いながら料理するのも慣れてきた。
住居と生活を変えるのは脳みその刺激になっていいな と今のところは 楽天的に考えている。
ここは山に囲まれた盆地だけど、私は海が好きなのだ。
この盆地暮らしが終わったら、 夫の仕事も終わりだし、函館で夏だけ過ごすとか、いいなあと思い始めている。
ほぼ20年ぶりの マンション暮らしが始まった。
東京の超狭少住宅もそうとう断熱にこだわって設計したつもりだったけど、 マンションのなんと暖かいこと。
そして家の中にいて朝日も夕日も見ることができるのに感動する。
部屋は9階で外から見えないので、カーテンを付けていない。 なので毎朝4時半には 寝室が明るくなって目が覚めてしまう。
心配なのは家の中に階段がないので運動不足になること。
ジムには入ったけれど プールで泳ぐことしかしないので、腰回りがかなりどっしりしてきた気がする。(追記:そして冷えたせいか、股関節痛再発)
車がない生活は相変わらずだ。
夫は新しい職場でそうとう驚かれているそうだけれど、アメリカにいた時だって私たちは車のない生活をしていたのだ。
幸運にも ここは20分も歩けば 大きなスーパーも農協もあるようなエリアだ。
らでぃっしゅぼーや(野菜 プラスアルファの宅配)を利用しながら、足りないものはリュックを担いで 週末に買い出しに行けばそんなに困らない気がしている。
まだ悪天候の洗礼は受けていないけれど。
夫の通勤は、歩いて3分ぐらいのところから 会社運営のシャトルバスが出ているので、東京の通勤ラッシュが嘘のようだそうだ。
私が行くジムは今までのジムよりもっと近くて、往復3500歩くらい。(今までは往復5000歩くらい)
4月半ばに段ボールもほぼ片付いて、今までよりずいぶん狭く感じるキッチンで、夫とぶつかり合いながら料理するのも慣れてきた。
住居と生活を変えるのは脳みその刺激になっていいな と今のところは 楽天的に考えている。
ここは山に囲まれた盆地だけど、私は海が好きなのだ。
この盆地暮らしが終わったら、 夫の仕事も終わりだし、函館で夏だけ過ごすとか、いいなあと思い始めている。
2023-03-07
2023年2月 年齢も住居も心機一転
夫婦共々還暦になった。
まだまだ若いつもりだけど、人生あと20年。
お金を使い切って楽しく過ごしたい。
前から気になっていた私の父方の遺伝性の目の病気。網膜色素変性症。
父の母も、父の妹二人も、血縁関係のある叔母もみな後天性の盲目だ。
私は女性にだけ出る劣性遺伝なのだと思っていた。
そうしたら父の弟も発病したと言うではないの。
驚いて弟一家にも警告。
今のところ治療法はないそうです。
父は7人兄妹弟だけど、そのうち3人が盲目という強い遺伝子。
いとこたちみな大丈夫だといいけど。
私は今のところド近眼で白内障の気が少し出てきているけど網膜は大丈夫みたい。
そしていつのまにか耳鳴りがひどい。
これは Audible を聴くのにイヤホンをしているからだろうか。
でも私はもう Audible なしで生活ができない。
イヤホンをお値段高めの骨伝導のものに変え、 YouTube で見た耳鳴りを抑えるマッサージを毎晩行って様子を見ている。
気にしたら精神的な難聴になっちゃうんじゃないかと思ってなるべく気にしないようにしている。
目が悪い上に耳まで…自分の寿命が尽きてきたことを感じる。
まだまだ若いつもりだけど、人生あと20年。
お金を使い切って楽しく過ごしたい。
前から気になっていた私の父方の遺伝性の目の病気。網膜色素変性症。
父の母も、父の妹二人も、血縁関係のある叔母もみな後天性の盲目だ。
私は女性にだけ出る劣性遺伝なのだと思っていた。
そうしたら父の弟も発病したと言うではないの。
驚いて弟一家にも警告。
今のところ治療法はないそうです。
父は7人兄妹弟だけど、そのうち3人が盲目という強い遺伝子。
いとこたちみな大丈夫だといいけど。
私は今のところド近眼で白内障の気が少し出てきているけど網膜は大丈夫みたい。
そしていつのまにか耳鳴りがひどい。
これは Audible を聴くのにイヤホンをしているからだろうか。
でも私はもう Audible なしで生活ができない。
イヤホンをお値段高めの骨伝導のものに変え、 YouTube で見た耳鳴りを抑えるマッサージを毎晩行って様子を見ている。
気にしたら精神的な難聴になっちゃうんじゃないかと思ってなるべく気にしないようにしている。
目が悪い上に耳まで…自分の寿命が尽きてきたことを感じる。
2023-02-07
2023年1月 アンよりロビンソン・クルーソーが好きだった。
転勤の可能性をきっかけに、家の中の断捨離を考え始めた。
1階は友達のオフィスとして使ってもらおう。
2階のソファーは捨てて、留守番の誰かが寝られるソファーベッドを置こう。
3階の三つある本棚のうち、一番大きいのを持って行くまたは捨てることにして、本はほとんど捨ててしまおう。
そして、本と和室の畳の下にしまいこんだ書類の整理をはじめてみた。
畳の下からは出るわ出るわ 、ダンボールや紙袋がたくさん。二人の昔の仕事の資料や書類。私の伝票 などなど。
その中から一つ「しの封印」と書かれた古いダンボールが出てきた。
20代の頃から持っていたもので、開けるのも嫌で封印していたという記憶はうっすらとある。
このまま畳の下に引き続き置いちゃおうかなとも思ったんだけど。
次にこれが畳の上に出るのはきっと私の死後で、誰か私以外の人が見るのだろうと思ったら、今処分するしかない。
箱のまま捨てて誰かが持って行っちゃったら困るので、ガムテープを剥がして開けてみた。
出てきたのは小学校以来の私の日記帳。 たまにしかつけていなかったのでほんのちょっと。
それから学生証や20代の頃使っていた小さな手帳数年分などなど。
そして箱の半分は何とハードカバーの表紙の一冊ずつケースに入った「赤毛のアンシリーズ」の全十冊であった。
なんでこんなもん入れたのかな。多分捨てるのはちょっと躊躇するけどもう読まないと思ったんだろうな。
これは私が小学校の高学年になった頃に母親に買い与えられ、繰り返し繰り返しアンのようになりなさいと言われたものだった。
つまりアンのように聡明になり、なおかつギルバートのような優秀な旦那さんと結婚しろということだ。
私も繰り返し読んで楽しんだけど、好きだったのは貧弱な孤児の女の子アンが、マシューに憧れの膨らんだ袖のワンピースをプレゼントしてもらって大喜びする場面や、アンの娘のリラが、なかなか懐かない孤児のジムの子育てに四苦八苦して、ついに赤ん坊が笑ったのを見る場面だった。
つまり私は、逆境といえるマイナスの状況から始まってだんだん実り、気持ちや生活が豊かになっていくプロセスを読むのが好きだったんだなあ。
なので本当に私が好きだったのは 、ロビンソン・クルーソーだ。
無人島に裸同然で流れ着いたロビンソンが、 食うや食わず の毎日から工夫をして、掘っ立て小屋を作りパンまで作りインディアンの子分までできて、元の世界に戻っていく。
ロビンソンはちゃんと成功するとわかっていながら、何度も何度も最初から繰り返し読んだものだったなあ。
1階は友達のオフィスとして使ってもらおう。
2階のソファーは捨てて、留守番の誰かが寝られるソファーベッドを置こう。
3階の三つある本棚のうち、一番大きいのを持って行くまたは捨てることにして、本はほとんど捨ててしまおう。
そして、本と和室の畳の下にしまいこんだ書類の整理をはじめてみた。
畳の下からは出るわ出るわ 、ダンボールや紙袋がたくさん。二人の昔の仕事の資料や書類。私の伝票 などなど。
その中から一つ「しの封印」と書かれた古いダンボールが出てきた。
20代の頃から持っていたもので、開けるのも嫌で封印していたという記憶はうっすらとある。
このまま畳の下に引き続き置いちゃおうかなとも思ったんだけど。
次にこれが畳の上に出るのはきっと私の死後で、誰か私以外の人が見るのだろうと思ったら、今処分するしかない。
箱のまま捨てて誰かが持って行っちゃったら困るので、ガムテープを剥がして開けてみた。
出てきたのは小学校以来の私の日記帳。 たまにしかつけていなかったのでほんのちょっと。
それから学生証や20代の頃使っていた小さな手帳数年分などなど。
そして箱の半分は何とハードカバーの表紙の一冊ずつケースに入った「赤毛のアンシリーズ」の全十冊であった。
なんでこんなもん入れたのかな。多分捨てるのはちょっと躊躇するけどもう読まないと思ったんだろうな。
これは私が小学校の高学年になった頃に母親に買い与えられ、繰り返し繰り返しアンのようになりなさいと言われたものだった。
つまりアンのように聡明になり、なおかつギルバートのような優秀な旦那さんと結婚しろということだ。
私も繰り返し読んで楽しんだけど、好きだったのは貧弱な孤児の女の子アンが、マシューに憧れの膨らんだ袖のワンピースをプレゼントしてもらって大喜びする場面や、アンの娘のリラが、なかなか懐かない孤児のジムの子育てに四苦八苦して、ついに赤ん坊が笑ったのを見る場面だった。
つまり私は、逆境といえるマイナスの状況から始まってだんだん実り、気持ちや生活が豊かになっていくプロセスを読むのが好きだったんだなあ。
なので本当に私が好きだったのは 、ロビンソン・クルーソーだ。
無人島に裸同然で流れ着いたロビンソンが、 食うや食わず の毎日から工夫をして、掘っ立て小屋を作りパンまで作りインディアンの子分までできて、元の世界に戻っていく。
ロビンソンはちゃんと成功するとわかっていながら、何度も何度も最初から繰り返し読んだものだったなあ。
2023-01-11
2022年年末-2023年年始 半ボケ気味に過ぎていく日々
毎月の月末に日記を更新しようと思っていたのを
12月末から1月2週目まですっかり忘れて
自分の脳みその不活性具合を思い知った。
思い返してみれば12月の半ばにキッチンシンク下の排水パイプのつなぎ目が壊れて、一階の天井から水漏れしたり。
夫の還暦祝に大島のアンサンブルを仕立てて男の着物教室に行ったり。
卒業以来ほぼ40年ぶりに大学のサークルの同窓会に行ったり。
それなりに気を揉んだり楽しんだりした12月だった。
年末年始はジムが休みになってしまうので、お正月2日にインドアプールのあるお台場のホテルに泊まって、久しぶりにガシガシ泳ぐ。
ディナーは 同年代の友達夫婦と食べて、そろそろ引退のお二人の様子を興味深く眺めたりできて楽しかった。
休み明けの成人の日の三連休は倉敷へ。
瀬戸内海気候の土地は冬でも暖かいだろうと侮って着物に羽織で行ったのでけっこう寒かった。
今年から稼いだぶんを貯金するのはやめて、全部旅行に使おうと決めた。
元気で旅行できるのもせいぜいあと20年ぐらいと思えば、今行かずしていつ行こう。
そう思えば、稼ぎ次第で海外旅行だって行けちゃうぞ。
なんだか気が楽になってウキウキしてきた。
しかし夫はまだ仕事すると言うし、 夫が言うには私はだいぶいびきがひどくなってきたみたいで。
一緒に旅行してくれる人がいないんだなあ。
12月末から1月2週目まですっかり忘れて
自分の脳みその不活性具合を思い知った。
思い返してみれば12月の半ばにキッチンシンク下の排水パイプのつなぎ目が壊れて、一階の天井から水漏れしたり。
夫の還暦祝に大島のアンサンブルを仕立てて男の着物教室に行ったり。
卒業以来ほぼ40年ぶりに大学のサークルの同窓会に行ったり。
それなりに気を揉んだり楽しんだりした12月だった。
年末年始はジムが休みになってしまうので、お正月2日にインドアプールのあるお台場のホテルに泊まって、久しぶりにガシガシ泳ぐ。
ディナーは 同年代の友達夫婦と食べて、そろそろ引退のお二人の様子を興味深く眺めたりできて楽しかった。
休み明けの成人の日の三連休は倉敷へ。
瀬戸内海気候の土地は冬でも暖かいだろうと侮って着物に羽織で行ったのでけっこう寒かった。
今年から稼いだぶんを貯金するのはやめて、全部旅行に使おうと決めた。
元気で旅行できるのもせいぜいあと20年ぐらいと思えば、今行かずしていつ行こう。
そう思えば、稼ぎ次第で海外旅行だって行けちゃうぞ。
なんだか気が楽になってウキウキしてきた。
しかし夫はまだ仕事すると言うし、 夫が言うには私はだいぶいびきがひどくなってきたみたいで。
一緒に旅行してくれる人がいないんだなあ。
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