2015-05-27

終活のお勉強いよいよスタート:父の幻覚編(2)

(1)からの続き

幸い父のせん妄状態はしだいに落ち着き、あとからどんな幻覚を見ていたか語ったりして、それはそれで面白かったんだけどね。
最初は自分が病院に居ることを把握していない様子で、男の看護士さんには「カメラマンは来ましたか?」と言ったり、入院関係の書類を持つ私に「原稿はまずそこに起きなさい」と言ったりした。
「からだがなまるから」と足はモソモソ動かすし、何とか起き上がろうとするので、ベットに拘束されたりもした。

拘束といっても映画で見るような拘束服を着せられるのではなく、ベットの手すりから手すりにベルトを渡す。同意を取られたとはいえそんな父の姿を見るのは十分にショックだった。

拘束具・抑制具の外し方
マグネットキーはベッド頭上のボードあたりに付けてあった。
下のリンクページには自分の親にこれを使ってみなさいよ!と言いたくなる拘束具の数々。(15年9月7日追記)
http://www.frontier-med.co.jp/segufix/bed.html

脳のCTをしても異常は無いということで、なんでそんな幻覚を見ていたのか、よくわからない。せん妄状態を脱した後は動かなくなってしまって、ベッドを出てトイレに行くのもナースコールが必要だ。意識はしっかりしている本人に聞いても「疲れてからだが動かない」と言うだけで困ったものだ。

ITJ(特発性血小板減少性紫斑病)で緊急入院したのだから、症状が落ち着けばその病院には長くはいられない。リハビリ病院に移って帰宅に備えると話は進んでいるんだけど、父と母ふたりで東京郊外の戸建ての家に住んでいたという入院前までの生活スタイルは、維持できるんだろうか。

それにしても、母が骨折した時も、義母の慢性白血病が危うくなって入院した時も、今回の父の場合も、ケースワーカーが付いて、入院している間に自宅に手すりが付いたり、ケアベッドが入ったり、退院準備が整っていく。義母たちの家には毎日昼食と夕食が届くことにもなって、なんという充実したサービスぶりだろうと、感心するばかりだ。
私たちが後期高齢者になった時に、この財源は残っているのかなあ。この分野を担う人材が、人口減少と高齢化でいなくなるのかもしれないしね。

せん妄状態を脱した父は、この世代に生まれてよかったとしみじみ言っております。戦争に行かなくてすみ、勉強さえすれば大学に行けて、老後は年金をもらって、いよいよ高齢化してきたら介護保険のサービスも受けられるって。

さて、私たちはどうなるんだろう。そして、その先の世代は…?


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